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スーフィズムに関するHP

987チバQ:2015/07/26(日) 21:11:18
http://www.sankei.com/world/news/150725/wor1507250026-n1.html
2015.7.25 16:38
【同胞団はいま モルシー政権崩壊2年】
(下)「カリフ制」再考の動き 掲げる理想、曖昧なまま

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6月10日、イスタンブールのスタジオで収録に臨むタリーマ師(大内清撮影)
 トルコの最大都市イスタンブールに拠点を置く衛星テレビ局「メカンメリーン(われわれは道半ば)」のスタジオに、視聴者の声が響いた。「クーデター政権からならば電気を盗んでも構わないでしょうか?」

 2013年のクーデターでエジプトのイスラム原理主義組織ムスリム同胞団が政権を失った後、イスラム系政党が政権を握るトルコには、同胞団系のテレビ局が多く開設された。同局もその一つ。エジプト人法学者のイサーム・タリーマ(41)がイスラムに関する質問に答える番組を持つ。

 カイロにあるイスラム教スンニ派最高学府、アズハル大学を出たタリーマは、同じくアズハル大出身で同胞団の精神的指導者であるユースフ・カラダーウィに師事。番組は、かつて師が人気を博した形式のものを踏襲している。

 生放送中に受けた質問にはタリーマが後日、放送で回答する。6月10日に寄せられた冒頭の質問への答えは、「どんな政権でも盗電は許されない」だった。

 「難局にあるときだから、道しるべが必要だ」。タリーマにとっては番組での質疑応答が、同胞団員らの支持をつなぎ留めるだけでなく、同胞団の思想を練り直す場ともなっている。

やり方合わなかった

 一方でこんな例もある。

 クーデター後にトルコへ逃れた団員のマフムード・バイユーミ(31)は6月、イスタンブールのカフェでぽつりと漏らした。「同胞団に入らなければよかった。時間と労力を無駄にした」。手には、同胞団では好ましくないとされる水たばことコーヒーがあった。

 同胞団を創始したハサン・バンナーは1940年代、個人から家庭、社会、政府、国家へと「イスラム化」を進め、世界での指導的地位を確立するとする段階的発展論を唱え、社会・政治活動を展開した。

 究極的には同胞団主導でのカリフ(預言者ムハンマドの後継者)制復活を目指しているといわれるが、明確にはされず、ムバラク政権下では「イスラムこそが解決だ」とのスローガンと福祉活動で貧困層へ浸透を図った。「野望」のあいまいさは、政権に不満を持つ層の受け皿ともなった。

 そして、最高幹部のムハンマド・モルシーが当選した2012年の大統領選後、同胞団は性急に権力掌握を進めた。同年12月には大統領が司法を超越した絶対権力を持つとまで宣言し、軍などの旧政権関係者や他の政治勢力を敵に回し、13年6月の大規模な反政府デモとその後のクーデターへとつながった。

 帰国すれば逮捕の可能性が高いバイユーミは「同胞団のやり方は現代に合わなかった」と嘆く。

組織内に矛盾はらむ

 目指す統治体制を明確にできていないことも失敗の一因ではないか-。タリーマにもこんな意識がある。

 事実、クーデター前の同胞団は、表向きは民主主義を標榜(ひょうぼう)しながら、「エジプト大統領は国民のイマーム(導師)であるべきだ」と、イスラム優位の政教一致論を語る最高幹部もいた。そうした矛盾を解消するためにも「現代のカリフ制の形も議論する必要がある」とタリーマは言う。

 カリフ制の再考といった思想面の動きは、スンニ派過激組織「イスラム国」が現実に政教一致のカリフ制国家を名乗り、勢力を拡大していることとも無縁ではない。団員の中に、イスラム国にひかれたり、同胞団に幻滅したりする者が現れる中、これまで棚上げしてきた問題を直視せざるを得なくなっているのだ。

 創設以来、各地のイスラム運動に大きな影響を与えてきた同胞団は、自らの理想の実現に向けてどう変容するのか。また、その変化は同胞団が主張する「平和的革命運動」に沿ったものなのか。答えはまだ見えてこない。=敬称・呼称略(イスタンブール 大内清)


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