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954チバQ:2015/07/04(土) 10:17:32
http://mainichi.jp/select/news/20150703k0000e030243000c.html
エジプト:欧州出稼ぎ景気に沸く村 豪邸次々
毎日新聞 2015年07月03日 12時09分(最終更新 07月03日 12時19分)
 ナイル川の恵みで田園が広がるエジプト北部のデルタ地帯に、欧風の豪邸が多数建つ村がある。富の源泉は欧州への出稼ぎで、今では村民の2割以上が欧州で働いている。近年、中東やアフリカから渡欧を夢見て地中海を密航し、落命する例が後を絶たない。国際移住機関(IOM)によると、今年の死者は1868人に上る。なぜ危険を冒すのか。「ヨーロピアン・ドリーム」を体現する村を訪ねた。【ミートバドルハラワ村(エジプト北部)で秋山信一】

 ◇増える密航、危険隣り合わせ

 首都カイロから北へ車で3時間半。対向車とようやくすれ違えるほどの狭い道を進むと、「ミートバドルハラワへようこそ」と記されたゲートが見えた。重機やトラックが行き交い、商店にも活気がある。中心部に入ると、7階建ての豪邸が現れた。各階にバルコニーがあり、石柱や欄干、屋根も意匠が凝らされ、宮殿のようだ。同様の豪邸は少なくとも数十軒あるが、路肩には牛舎があり、荷を引くロバも行き交う。別荘地と田舎町が混在するような奇妙な街並みだった。

 4階建ての邸宅に住むファルーク・ホリさん(50)は1989年に単身渡仏し、内装会社で働いた。2001年に独立し、従業員10人を雇う会社に発展させた。家族と一緒に暮らすため、13年に会社をたたんで帰国した。

 「同郷の仲間の存在が助けになった」とファルークさんは語る。村民が初めて仏へ出稼ぎに行ったのは70年代。村の主産業は農業だが、人口増で農地が足りなくなり、若者が稼ぎを求めて国を出た。「同じ仕事でも4〜5倍は稼げる」(出稼ぎ経験者)という経済格差があるため、仕送りを受けた家庭は車や家、電化製品を購入するなど羽振りがよくなり、それを見た他の村民が後に続いた。村民たちはパリ郊外に集住し、査証(ビザ)の取得などでも協力。アパートの一室に4〜5人で共同生活し、節約に努めた。

 村を管轄するサマンヌード郡政府によると、居住人口は約2万1500人だが、若者を中心に5000人以上が仏で暮らす。毎年数百人が新たに出稼ぎに出る。仕送りの恩恵で景気も良く、郡政府トップのラマダン・エイドさん(58)は「村の失業率はゼロに近い。土地を買う人が多いため、地価は周辺の村の4倍ほどだ」と話す。18〜29歳の約30%が失業するエジプトでは異例の好景気だ。

 出稼ぎ労働者は村の発展にも貢献している。ファルークさんらは12年に慈善団体を作り、40万エジプトポンド(約640万円)を投じて、人工透析設備の病院への寄贈や学校の補修などを手がけた。小学校の新設計画も進めている。「教育と医療が人生の基礎。政府に頼らずとも村を発展させていきたい」と話す。

 ただ、近年は欧州で移民の増加が社会問題化し、ビザの取得が難しくなっているという。ある住民は「ビザの取得や滞在延長などの手続きに8万ポンド(約128万円)を仲介業者に支払う必要がある」と明かす。地中海の密航なら手数料は2万〜3万ポンドで済むため、周辺の村では密航者が増えているという。ファルークさんは「欧州の景気が良いわけではないし、危険を冒してまで行くべきではない。自国で努力することをまず考えるべきだ」と話した。

 【ことば】中東から欧州への出稼ぎ

 欧州は第二次世界大戦後、人手不足を解消するため、中東やアフリカから多数の出稼ぎ労働者を受け入れた。欧州側が受け入れ規制を強めるにつれて、入国・滞在許可を得ずに不法に渡欧する例が増加した。近年はリビアから海路でイタリアを目指す密航ルートが活発だ。国連などによると、今年は6月までに6万7500人が中東からイタリアに渡ったが、1800人以上が船の沈没などで死亡した。


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