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スーフィズムに関するHP

682名無しさん:2015/02/11(水) 13:53:08
http://blogos.com/article/105233/
松田公太2015年02月09日 12:32「ありとあらゆる手を尽くす」

先日のブログ(2015 2 6「政府の姿勢から見えるテロに対する危機感の低さ」)に非常に多くの賛否両論が届いたので、追加で思うところと、調べて分かったことを書かせて頂きます。

私は先週後半もスケジュールの合間を縫って、戦場ジャーナリスト、記者、外務省、中田考さんの顧問弁護士などとコンタクトをとりながら、今回の事件の検証を進めました。
(まず誤解が無いように書きますが、私は中田さんとは知り合いでもなく、肩をもっているわけでもありません。本人に関する情報は全て顧問弁護士を通じて入手しております。あくまでも客観的に検証をし、将来への備えをする為です。)

某TV番組の収録インタビューでもお話をさせて頂きましたが、重要なのは本当に「ありとあらゆる手段」を尽くしたと言えるのか。尽くせなかったとしたら、今後はどのような行動を取るべきかを検証することだと思います。
詳細はつまびらかに話せないのは分かりますが、失敗に終わった以上、一定程度の説明をし、野党と協力し合って改善を目指す責任が安倍政権にはあると思います。

そして、過去に類似の事例があれば、それも参考にしなければなりません。
私は今回、1999年に起きたキルギス日本人誘拐事件に着目しました。
4名の日本人鉱山技師が、イスラム国家の樹立を目指していた反政府系武装組織ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)によって拉致された事件です。
これは大変な交渉を経て人質全員の解放を実現した事件であり、当時の外務省職員もまだ数多く残っている為、その時の経験が今回の対応に色濃く影響した可能性があるからです。

テロリストとの交渉過程は詳細に明かされていませんし(勿論されるべきではありません)、身代金が実際支払われたかどうかも断定的には言えません(これについても勿論、政府は言及してはいけません)。よって、私が注目したのは、どのような人が交渉に当たり、どのような人から協力の申し出があったかでした。

見えてきたのは、キルギス事件では直接的な交渉ルートが開拓されていたということ。
当時、在パキスタン日本大使館専門調査員として2年間勤務し、国連アフガニスタン特別ミッションの政務官としてアフガニスタンに常駐した経験もある高橋博史さん(ウズベキスタン大使館員)等がいたため、武装勢力側や影響力の高い部族長との直接交渉ルートを開拓することができていたのです。そして、紆余曲折はありましたが、約2か月掛かって、人質は無事に解放されました。

最大のポイントだった直接交渉ルートの確立。
これは短期間で構築できるものではありません。今後は在イラクやヨルダン、トルコを始めとした中東の外交官等が腰を据えて、少なくとも部族長や宗教指導者とのコネクションを構築していく必要があります(ISILの内側に存在する対立軸とも何とか接点を作ってもらいたいところですが、日本のインテリジェンスにはハードルが高すぎるでしょう)。

また、当時の事件発生時も様々な人から協力の申し出があったようです。大事件が起こった際は功名心に駆られた自称「識者」が多く集まってくるのは避けられません。キルギスの場合は事件後も多くの情報が流布し、その火消しに政府も時間を費やしてきた跡がみられます。

そのような経験を経て、外務省には「テロ事件の時は、君子危うきに近寄らず」で、自称識者からの申し出は受け付けないという考えが根付いてしまったのかもしれません。結果的に人質解放となったので、それを成功事例として踏襲したくなるのも理解できます。多忙な中においては、特にグレーやブラックな経歴がついている人からの情報を最初から排除したくなる気持ちも分かります。
しかし、他に有力なパイプが構築できていないとしたら話は別です。
人の命が掛かっている状況下であれば「虎穴に入らずんば虎子を得ず」に方針を切り替え、一度は会って話を聞いてみるというスタンスが必要だったのではないでしょうか。


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