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スーフィズムに関するHP

663名無しさん:2015/02/07(土) 21:38:23
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150204-00000000-sasahi-m_est
妻に支えられ「イスラム国」入り 後藤さん本当の目的とは?〈週刊朝日〉
dot. 2月4日(水)7時2分配信

 虚ろな目でカメラの前に立つ後藤健二さん(47)は、なぜ人質交渉のカードになったのか。

「僕の代わりだったのかもしれません」

 そう話すのは、フリージャーナリストの常岡浩介さん(45)だ。昨年9月、取材中に知り合ったオマル・グラバと名乗るイスラム国司令官からこう頼まれた。「湯川遥菜さんをスパイ容疑で裁判にかけるので通訳をしてほしい」

 イスラム法学者の中田考氏と現地に向かった。

 だが、イスラム国支配地域のラッカに到着したころ、シリアのアサド政権による大規模な空爆があり、裁判は1週間ほど延期に。湯川さんに会えていなかったが、中田氏がラッカに向かう途中で持病の薬を入れたリュックサックをなくしていたため、「そこまで待てない」と帰国を希望。1カ月後に再訪することになった。

「彼らは、湯川さんを処刑もしない、身代金も要求しないと言っていた。あの時点で、イスラム国にとって日本は敵でも味方でもなかった。だから僕らも無事に帰国した」(常岡さん)

 だが、再渡航前日の昨年10月6日夕方、警視庁公安部が「私戦予備・陰謀」容疑で家宅捜索に現れた。

 イスラム国に参加しようとした男子大学生の関係者とみなされ、パソコン、携帯電話などが押収され、出国できなくなってしまった。

 後藤さんが日本を出たのは10月22日夜。常岡さんは「タイミング的には僕らの代わりの通訳と思える」と話す。

 真実は定かではないが、イスラム国へ出向き、現地で仕事をこなせるジャーナリストであったことは間違いない。

 後藤さんは1967年生まれ。大手企業に勤めていた実父の転勤で、2歳のとき、仙台市から東京都世田谷区へ。スポーツが大好きで、学校では生徒会長をやるなど目立つ存在だったという。法政大学の付属高校ではアメフト部に入部。同大社会学部に進学後は、コロンビア大学に留学するなどして語学力を磨いた。

 卒業後は、一般企業に就職したものの長くは続かず、都内のボディービルジムのインストラクター職などを経て、20代半ばでテレビ番組制作会社に所属。イチから経験を積み始める。視線は常に、世界の紛争地に向けられていて、NHKや民放キー局に映像を持ち込み評価をあげていく。

 当時から後藤さんを知る元NHKプロデューサーで武蔵大学の永田浩三教授はこう言う。
「戦争はただドンパチやるものではなく、少年兵が、子どもらしさを失う過程など、日常を破壊するものとして紹介していた」

 映像の質の高さは折り紙つきで、10分で数百万円が支払われることもあったという。ジャーナリストの安田純平さん(40)は、「ここ数年のテレビ業界では、最も成功したフリージャーナリストでしょう」。

 だが、私生活では2度離婚。3人目となる現在の妻と結婚後、妻の姓に変えたという。

 東大大学院で都市工学を学んだ妻は国際協力機構(JICA)に就職し、OECDに出向経験があるというエリート。結婚生活は順調で事務所の近くにある東京・赤坂の高級マンションに住み、友人らを招いて食事会をすることもあった。 長女(2)に続き、妻が次女を出産したのは、後藤さんの出国のわずか3週間前だ。その妻は、イスラム国からの最初の期限が迫った1月23日、実母の石堂順子さん(78)が行った会見には強く反対したという。

「面識がなかったのに、当日朝6時半に突然、携帯に電話があり、お互い励まし合いました。でも、『会見には出ないでください』と言われて……」(順子さん)

 だが、同29日、その妻もイスラム国に強要される形で英国のフリージャーナリスト支援財団を通じ、英語で声明を発表した。

「夫を救ってください」

 それがかなう日は来なかった。

(本誌取材班=古田真梨子、上田耕司、福田雄一、永野原梨香)

※週刊朝日 2015年2月13日号


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