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スーフィズムに関するHP

637とはずがたり:2015/02/05(木) 17:09:07

 だが11年3月ごろからはシリアでも反政府派のデモが拡大し、治安部隊とデモ隊の銃撃戦も起き騒乱状態となった。アサド大統領は父親以来の独裁制の根拠となっていた非常事態法の廃止、複数政党制、大統領の任期制など、妥協策を次々に打ち出した。が、騒乱を拡大してアサド政権を打倒しようとする反体制派に通じるはずがなく、軍から離反、脱走したスンニ派将兵が「自由シリア軍」を結成。これを米国、トルコ、サウジアラビアなどが支援し、内戦状態となった。反政府側には外国人を含むアルカイダ系の「ヌスラ戦線」や独立を求めるクルド人部隊も加わってシリアの諸都市を占拠。「アサド政権の命脈は尽きた」との観測が一般的だった。

 だがスンニ派が多いシリア政府軍は意外にもアサド政権に忠実で、シリア陸軍は内乱発生前の22万人が一時はほぼ半減したものの、再編成に成功して態勢を立て直し、人員の補充も進んだ。また政府が募った民兵組織「国民防衛隊」にはアラウィー派やキリスト教徒(人口の約11%)だけでなく、都市を占拠したイスラム過激派の偏狭な支配や乱暴に怒るスンニ派住民も参加し、後方地域の警備に当たったほか、最近は攻撃にも参加している様子だ。

 回復したシリア政府軍は12年に入ると反攻に転じ、3月には反徒の最大の拠点だった西部の交通の要衝ホムス(人口65万)を奪還、首都ダマスカス(同140万)やアレッポ(同210万)、ラタキア(同38万)など地中海側の都市を制圧、あるいはその大部分を確保し、今では砂漠地帯であるシリア東部と、トルコ国境に近い北部を除き、国土の主要部は政府側が奪回し、人口の約7割を支配する形勢だ。

●「イスラム国」の前身はアルカイダからも破門

 この戦いの中、元シリア将兵主体の自由シリア軍はイスラエルを支持する米国の支援を受けていることが明白だったから、シリア国民の支持が低く、弱体化した。反政府派の主力は、戦闘経験も多いアルカイダに属する「ヌスラ戦線」と、あまりに悪辣な行動(人質を取り身代金を要求するなど)でアルカイダからも破門された「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」になった。

 このISISが「イスラム国」の前身だ。クルド人も独立を求め蜂起したが、シリア政府は自治を認めて懐柔し今ではクルド人は過激派と戦っている。米国とスンニ派のトルコ、サウジアラビア、カタールなどから反政府側には武器、車両、資金が送られたが、自由シリア軍に渡すべきものがISISなどの過激派武装集団に流れ、勢力を拡大させることになった。

 シリア情勢に注目してきた米上院共和党議員のランド・ポール氏は今年の6月、CNNとNBCテレビで「米政府はアサド政権打倒のため、ISISに武器を供与してきた」と述べた。英国のガーディアン紙も「CIA(米国中央情報局)がヨルダンの秘密基地でISISを訓練している」と報じたことがある。

 諸外国の支援で力をつけたISISは政府軍だけでなく、自由シリア軍とも戦ってシリア東部を支配し、今年1月にはイラクに侵入。首都バグダッド(人口590万)の西約50キロメートルのファルージャ(同32万)を占拠した。6月10日にはイラク北部の大都市モスル(同66万)を制圧、急速に南下して同11日に大規模な石油精製施設があるバイジ(人口不明)とティクリート(同25万)を占領、西と北から首都バグダッドに迫った。ISISは6月29日には「イスラム国」の樹立を宣言。7月3日にはシリア東部デリソール県でシリア最大のオマール油田を占拠した。

「イスラム国」はほかにもシリアで油田を支配。日産最大7万バレル(1バレルは約159リットル)といわれ、原油の国際価格が1バレル当たり約90ドルのところ、30ドルないし60ドルで闇ルートに流し、1日100万ドル以上の収入を得ていると推定されている。その兵力はこれまで米国情報で「約1万人」といわれたが、CIAは9月11日に突然「3万1500人」と3倍に引き上げた。これまでシリアの反政府側を支援するのに、その主力がイスラム過激派であってはまずいから少なく言っていたが、今度は敵にすることになったから、予算確保などの都合上、勢力を大きく見積もることにしたのでは、と考えられる。


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