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スーフィズムに関するHP

636とはずがたり:2015/02/05(木) 17:08:52
矛盾だらけの「イスラム国」攻撃
http://dot.asahi.com/world/w-general/2014101400077.html
by 軍事ジャーナリスト・田岡俊次 (更新 2014/10/14 18:44)

原油の密売で1日100万ドルの収入を得る
スンニ派武装組織の素性

 米軍は9月23日、イスラム・スンニ派の武装組織「イスラム国」のシリア領内の拠点に対し航空攻撃を開始した。2011年4月にシリアで反アサド政権の騒乱が起き、内戦となって以来、米国は「アサド政権打倒」を公言し、反政府武装組織を支援してきたが、やむなく敵と味方を逆転させた形だ。ケリー米国務長官は21日にシリアのムアッレム外相に攻撃の事前通告を行っており、攻撃後シリア外務省は「テロと戦う国際的努力への支持」を表明した。

 現地時間23日午前3時30分からの攻撃はペルシャ湾の米巡洋艦「フィリピン・シー」、紅海の米駆逐艦「アーレイ・バーク」からの巡航ミサイル「トマホーク」47発の発射で始まり、F22ステルス戦闘機、B1爆撃機などを投入。トルコ国境に近いシリア北部のラッカ(「イスラム国」の本部)、ハサカ、シリア東部の油田地帯デリソール、アブ・カマルの4地点の24目標に対し3波の攻撃が行われたもようだ。この攻撃にはサウジアラビア、ヨルダン、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦の5カ国も加わった、と発表された。

 米国はこのほか「イスラム国」ではなく、アルカイダ系の過激派組織「コラサン」の拠点をシリア北部アレッポ郊外で攻撃した。「コラサン」が米本土に対するテロ攻撃を準備中、との情報によるという。

「イスラム国」はシリアの内戦で台頭し拡大した。シリアの内戦は10年12月に北アフリカのチュニジアで始まった民衆の蜂起「アラブの春」が波及したと一般にいわれるが、事情は他国と少し異なり、シリアのアサド政権には倒れない理由があった。この際倒れたエジプトのムバラク政権は明白な独裁政権だったし、リビアのカダフィ政権、イエメンのサレハ政権、チュニジアのベン・アリ政権も後期には米国寄りになった。

 米軍戦闘部隊がイラクから10年8月に撤退すると、まもなく中東で親米独裁政権が次々に倒れた。ソ連軍がアフガニスタンで敗れ1988年5月に撤退を始め、ソ連が威信を失うと東欧の親ソ連政権が続々と崩壊したのに似たドミノ現象だった。

 だが、シリアのアサド政権は米国の支援を受けていたわけではまったくなかった。イスラエルが67年6月の第3次中東戦争でシリアのゴラン高原を占領。同年11月の国連安全保障理事会決議242が「イスラエル軍の撤退」を求めても今なお占領を続けている。このためシリアはイスラエル、およびその後ろ盾である米国とは対立関係にあったから、「アラブの春」の騒乱はすぐには伝播しなかった。

●西欧的感覚を持ったアサド大統領の素顔

 シリアのバッシャル・アサド大統領の国民からの人気も悪くなかった。彼は70年に政権を握った空軍司令官ハーフィズ・アサド大将の二男で、政争を嫌って医学の道に進み、ロンドンの眼科専門病院に勤務していたが兄の少佐が交通事故で死んだため呼び返された。父が00年に急死したため34歳で大統領に就任した。

 完璧な英語、フランス語を話す西欧的感覚を持った開明派で、腐敗の除去と改革に努め、海外で「ダマスカスの春」と称された。イラク戦争後はイラクで活動するスンニ派のテロリストが自国に流入したり、外国人テロリストがシリア経由でイラクに入ったりするのを警戒し引き締めに向かった。弱点はアサド家がイスラム少数派のアラウィー派(シリア人口の約13%)に属しており、スンニ派(同70%)の反感を受けがちなことだった。彼はロンドンで知り合ったスンニ派シリア人の心臓外科医の娘(名門のロンドン大学キングスカレッジ卒で「モデル並み」の容姿のアスマ夫人)と結婚した。スンニ派出身の夫人の国民的人気が宗派的反感を緩和していた。


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