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スーフィズムに関するHP

589チバQ:2015/01/25(日) 13:57:37
http://mainichi.jp/select/news/20150124k0000m030143000c.html
サウジアラビア:現実主義と伝統体現と アブドラ国王死去
毎日新聞 2015年01月23日 21時23分(最終更新 01月24日 00時54分)
 サウジアラビアのアブドラ国王が23日未明に死去した。アブドラ国王は、バランス感覚に優れた現実主義者であったが、改革者にはなれなかった。

 1924年、リヤドに生まれ、部族の伝統的習慣の中で幼少期を過ごした。父のアブドルアジズ氏は32年に初代国王になった。

 63年に国家警備隊司令官となり国内治安を担当。これが力の源泉になった。82年に皇太子に就任した時、ファハド国王(当時)と同じ母を持つ兄弟から反対もあったが、治安機関の統治能力を基に対抗し権力基盤を築いた。

 70年代、アラブの団結を優先し度々、米国を批判した。90年の湾岸危機で米国がサウジ国内への米軍駐留を求めた時も反対したとされる。2005年、第6代国王に即位した。

 一方、対米関係の重要性も認識し、米国との関係を決定的に悪化させることは避け、欧米諸国と良好な関係を維持した。

 サウジの人口はこの30年で4倍になっている。若年層の急増と海外からの情報流入で、国内では欧米の価値観を知る若者とイスラム保守派との間で対立が深刻化している。

 アブドラ氏は改革の必要性を認識し05年11月、世界貿易機関(WTO)加盟を実現。ロンドン五輪(12年)では初めて女性選手を派遣して、欧米諸国に配慮した。

 一方、国民の意思を反映する民主制度は十分、整備されず、女性の車の運転が認められないなど課題は残った。サウジから過激なイスラム主義者が生まれる状況も変わらない。

 アブドラ国王は約30人の妻(離婚した妻も含む)との間に15人の息子と20人の娘があると考えられている。部族の伝統を体現した国王に改革を求めるには限界があった。内外に難題を残したまま国王は逝った。【ロンドン小倉孝保(元カイロ支局長)】


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