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4238OS5:2025/09/29(月) 15:11:03
https://news.yahoo.co.jp/articles/cbbfd417c9354e6abfac87cff556db87175ae790
万博とは異なる景色広がる「ニシヨドスタン」、多くのパキスタン人が住む地域を記者が取材…対立あおるSNSの誤情報
9/28(日) 9:13配信
 8月14日、大阪・関西万博の会場(大阪市此花区)でパキスタンの伝統舞踊が披露された。日本人も外国人も一緒になり、三日月と星が描かれた緑色の小さな国旗を振って盛り上がった。この日は同国のナショナルデー。来日した政府高官は更なる絆の深まりに期待した。

【写真】モスクでの金曜の礼拝後、大勢のパキスタン人らが行き交う

 華やぐ会場から約9キロ北東にある大阪市西淀川区の大和田地区。多くのパキスタン人が暮らし、「ニシヨドスタン」と呼ばれる。そこには、万博での交流とは異なる景色が広がっていた。
 大和田地区は住宅街が広がり、町工場が散在している。淀川と神崎川に挟まれ、万葉集の歌碑が残る歴史深い地域。近年は多くの外国人が住む。

 中でもパキスタン人が大幅に増えている。市によると、西淀川区全体で2014年度末は24人だったが、24年度末は100人に増えた。
 記者は約2か月間通い、パキスタン人約20人に取材した。
 初めて訪ねたのは7月下旬。裾の長い民族衣装「カミーズ」を着た男性が行き交い、ちらほら見かける同国の料理店からスパイスの香りがした。

 1990年代、近くに車のオークション会場があることから、中古車販売業を営むパキスタン人が居住。その後、親族や知人らが続いた。イスラム教徒が多く、2010年にモスクが開設されたことで、さらに増えていったという。金曜の礼拝後、通りは外国人でいっぱいだった。
 日本人とのつながりはほとんどなく、両国の人たちが交流していた大阪・関西万博の会場とは対照的だった。「仲良くしたい」「我々のことを知ってほしい」と望む声があった一方、「自分たちだけで生活できている」と冷めた反応もみられた。

 日本人の住民約20人にも話を聞いた。増える外国人に、「あまり意識していない」「言葉が通じないから、ご近所さんという感覚はない」と距離を置いていた。5人が「何となく怖い」と感じていたが、トラブルになった人はいなかった。
 日本人と外国人のコミュニティーは平行線ながら、平静を保っていた。

■抗議の電話
 対立をあおっているのはSNSだ。
 6月、地区内の神社でボヤがあり、X(旧ツイッター)で「犯人はイスラム教徒で『邪教だから火をつけた』と供述」との情報が拡散された。「多文化共生など無理な話」との投稿とともに約500万回表示された。
 複数の住民や大阪府警西淀川署によると、ボヤの原因は日本人と外国人の小学生数人の火遊びだった。

 投稿は誤情報だが、地区周辺のモスクには「なぜこんなことをする」と抗議の電話があったという。
 8月末には、地区内を大勢の外国人が行き交う動画とともに英語で「こんなにひどい状況」とXに投稿され、1600万回近く表示された。日本語で「侵略者だ」「追放して」などのコメントが付いていた。

 地区内には共生に努める人もいた。
 中古車販売業を営むユヌス・モハメッド・ワスィームさん(48)はカラチ出身で15年前から地区に住み、4年前に一軒家を買ってパキスタン人の妻、子ども3人と暮らしている。
 地元住民に率先してあいさつし、ここ数年は、近隣の日本人を招いてホームパーティーを開いている。近くの八百屋と顔なじみになり、「いつもまけてくれる」と喜ぶ。記者が八百屋の店主の 一氏いちうじ 裕さん(75)に伝えると、「外国人やからってことじゃないけど、夫婦とも朗らかで、ちょっとだけね」と笑顔が返ってきた。
 ワスィームさんは日本語がうまく、取材中、何度も「大和田が大好き!!」と話した。


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