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スーフィズムに関するHP

3625OS5:2023/02/05(日) 21:04:24
https://news.yahoo.co.jp/articles/9df054c9b19f823a15f2bf913eccad3732b80682
ムシャラフ元パキスタン大統領が死去…「軍事独裁者」から米同時テロ受け親米路線へ
2/5(日) 19:56配信


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読売新聞オンライン
米ニューヨークで、米国のブッシュ(子)大統領(右)と握手するパキスタンのムシャラフ大統領(2001年11月、肩書はいずれも当時)=AP

 【ニューデリー=浅野友美】パキスタンのペルベズ・ムシャラフ元大統領が5日、臓器の機能障害が起こる「アミロイドーシス」のため、アラブ首長国連邦(UAE)ドバイの病院で死去した。79歳だった。パキスタン軍が発表した。2001年の米同時テロ後、親米路線へとかじを切り、米国と協調して対テロ作戦を進めた。国内で独裁体制への批判が強まり、08年に辞任に追い込まれた。

 事実上の軍トップである陸軍参謀長だった1999年10月、無血クーデターで当時のナワズ・シャリフ首相を解任し、首相に相当する「最高行政官」に就任した。01年6月には当時の大統領を解任し、自ら大統領となった。

 ムシャラフ氏は、クーデターで政権を奪取した「軍事独裁者」として国際社会から孤立していたが、01年の米同時テロ後、対テロ戦線に協力。隣国アフガニスタンで長期化していた反テロ戦争を巡り、米国から「前線国家」と位置づけられた。03年には、ブッシュ(子)大統領から経済制裁の解除を取り付け、米政府から軍事経済支援を得る道筋を開いた。

 05年にパキスタンを訪問した小泉首相との会談では、テロとの戦いへの貢献などを理由に、1998年の核実験以降中断されていた円借款の再開にこぎ着けた。

 一方、対テロ作戦への協力はイスラム教徒が大半を占める国内では反発も出た。

 07年には、首都イスラマバードのモスク(礼拝所)に学生らが立てこもった「赤いモスク事件」で軍に強行突入を命じ、100人以上の死傷者を出した。

 同年、最高裁が陸軍参謀長と大統領の兼任を違憲と判断するとの見方が出ると、非常事態宣言を出し、最高裁長官を解任した。軍籍を離脱し、文民政権になることで批判を抑えようとしたが、独裁的な手法に不満が噴出した。

 08年2月の総選挙で野党が圧勝し、国会で大統領弾劾決議案の可決が避けられない事態になると、テレビ演説で辞意を表明した。

 辞任後は、イスラム武装勢力に対する掃討作戦への報復を恐れ、国外に事実上亡命した。13年に政界復帰を目指して帰国したが、最高裁長官を不法に解任した疑いで逮捕され、出馬の道を断たれた。約7か月間、自宅で軟禁されたが保釈され、16年からUAEで療養生活を送っていた。


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