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スーフィズムに関するHP

3571チバQ:2022/07/28(木) 21:43:27
◆家族バラバラでようやく脱出。「絶対すぐに戻ってくるぞ」

アフガニスタンは大家族が多いのですが、国外退避を手配してくれる企業や組織も、家族全員の面倒まではみてくれません。だから一家離散がすごくたくさん生じた。

混乱する空港で母親が人波に押しつぶされ圧死し、3人の幼い子どもたちだけがなぜか脱出に成功して、アメリカの伯母のところにたどり着いたというケースもありました。

私は陥落後も取材を続けていたんですが、数日後に日本大使館から「自衛隊機が来る」と連絡が。会社からも「一度出国して仕切り直しを」と言われて退避を決意したんです。でも夫はアフガン人なので簡単には国外に出られません。「仕方ないので先に行くけれど、あとで落ち合おう」と。

夫はタリバンとあまり関係の良くない地域の出身なので少々心配はありました。でも彼が昔働いていた米企業の支援もあり、その後無事に出国。今はカタールのドーハにいます。

私自身は、本心を言うと出たくなかった。最後の最後までこの国を出るのが名残惜しくて、飛行機に乗っても「絶対すぐに戻ってくるぞ」と心の中で叫んでいました。

◆シルクロードに憧れてアフガニスタンへ

子どもの頃からNHKの『シルクロード』という番組が大好きでした。ラクダの隊商が砂漠を行く景色にずっと憧れていて。

初めての海外は短大の卒業旅行で、シルクロードの出発点・西安や新疆ウイグル自治区を回りました。その後アパレル会社に就職したけど夢を諦めきれず、会社を辞めて写真家になろうと決心。1993年に初めて、かつてのシルクロードの拠点であるアフガニスタンを訪れました。

ところが大自然や遊牧民の姿を想像していた私の目に飛び込んできたのは、戦車の残骸、地面に散らばるロケット弾、そして国内避難民の姿でした。難民キャンプには水も食料もなく、小さな子どもがささいな病気で命を落としていく。

どうすればこの国が平和になるのだろう。フリーのカメラマンとして何度もこの地を取材で訪れるうち、そう考えるようになりました。

左:安井さんのクラフト工房で縫製を手掛ける女性たち。手にするのはアフガンの民族服を着た「ピースベア」/右:華やかな手刺繍が施された小物入れ

◆タリバンより、貧困問題のほうがよほど深刻な状況

その後、米同時多発テロを機に共同通信社の記者となってアフガニスタンに移住。取材中に知り合った夫と結婚し、20年をこの地で過ごしてきました。

通信社の仕事のかたわら、現地の方たちの強い希望があって学校を作ったこともあります。最初は、以前先生だった方をポケットマネーで一人雇い、工場の廃墟の一角にささやかな教室を用意したんです。

みんな学校ができるのをずっと待っていたので、避難民キャンプで暮らす5歳から18歳までの子どもたちが100人以上も集まってきました。この学校は、国がある程度復興して正規の教育が再開するまでの橋渡しとして、約5年間続きました。

その後、女性を中心とした刺繍などのクラフト工房を立ち上げることになり、これは今でも続けています。もともとは夫がバーミヤンで経営しているホテルで使う備品のため、一般の女性たちに刺繍の内職をお願いしたのが始まりでした。

それが一段落した後も、「この仕事を続けたい」という女性たちの声に押され、フェアトレードの工房を作ろうということになって。私も営業活動をして、アメリカ、カナダ、イタリアにも取引先が広がっていきました。

こうした伝統的な針仕事だけでなく、民主化してからは女性たちの職業も多様化していきました。警察官、パイロット、モデルと、あらゆる場所に女性が進出。もともとアフガニスタンは、男の人はあまり働かないけど、女性は優秀な人が多いんですよ。

やがて国全体もだいぶ復興が進んできたのですが、それでも民族間の争いもあるし、IS(イスラム国)やアルカイダといったテロとの戦いもある。ずっと紛争が続いてきたので、国内の貧困問題は根深いものがありました。

特にコロナ禍が始まってからは日雇いの仕事もなくなってしまい、「コロナで死ぬ前に餓死する」とみな口々に言うぐらい、経済が悪化しています。それは今も続いていて、タリバンが怖いとかよりも、とにかく貧困問題のほうがよほど深刻な状況なのです。


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