したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

スーフィズムに関するHP

3570チバQ:2022/07/28(木) 21:43:12
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5482e0c6ea3cf0a650753341a6e651142b360c1
タリバンよりも貧困が深刻なアフガニスタン、20年タリバンを見続けた現地通信員が語った内情と平和な未来
4/7(木) 12:01配信


2021年8月、イスラム主義勢力タリバンにより首都カブールが陥落し、アフガニスタン・イスラム共和国は崩壊。半年以上経った現在も、国際社会におけるタリバン暫定政権の承認は進まず、現地では食料不足や治安の悪化、貧困問題が見られます。当時、大統領府が占領される混乱のなか、自衛隊機で国外に脱出した唯一の日本人が共同通信社の現地通信員・安井浩美さん。日本に一時帰国中の彼女が当時の状況を語ってくれました(構成=古川美穂)

* * * * * * *

◆タリバンがやってきた日

20年間アフガニスタンに住んで取材を続けてきましたが、こんな形でひとつの国家が滅びる場面に立ち会うことになるとは思いませんでした。

アフガニスタンでは1989年の旧ソ連軍撤退後、国内支配をめぐって紛争状態が長く続きました。そして2001年のアメリカ同時多発テロ事件を機に、米軍や北大西洋条約機構(NATO)が自衛権を発動して軍事介入。

イスラム原理主義を掲げたタリバン政権が崩壊し、アフガニスタンは首長国から共和国へと生まれ変わったのです。西側諸国の軍事的庇護のもと、「民主化」して20年。しかしアメリカはトランプ政権時にタリバンとの間に和平合意を結びます。バイデン政権もそれを継承。

それを受けて21年春から米軍がアフガニスタン撤退を進めるなかで、表向きは、タリバンが政府軍と戦いながら主要都市を次々と攻略していきました。8月15日にはカブールが陥落して、パンジシール州以外の全土がタリバンの支配下に。

でも、あらかじめアメリカが撤退のレールを敷いていたこともあって、激しい戦闘は最初のうちだけだったんです。あとは政府軍があまり抵抗もせず、次々と投降していきました。

そんななか、7月頃からカブール市内も何となく騒然としてきましたが、大きな戦闘はなさそうだし、私自身は退避するつもりはありませんでした。

会社からは「危なくなってきたので国外退出を」と通達が来たけれど、出国者が多くてなかなか飛行機の予約が取れません。

それで「私は大丈夫。時期が来たら這ってでも出ますから」と言っていたのです。

◆一晩で景色が一変。飛び立つ輸送機にしがみつく人。

8月に入り、カブール陥落の前日ぐらいから「タリバンが市内西部にいた」と目撃情報がSNSに上がり始め、「ああ、ついに来るんやな」と思いました。

でもその時点では街はまだいつも通りの状態で。ところが家に帰って一晩経つと、景色が一変していました。

新市街の中心部にある職場を出て歩いていたら、大きな白いターバンを巻いてカラシニコフ銃を持った人が道に立っている。白い旗が遠くにひらひらと上がり、足音も銃声もなし。気がついたらタリバンが街にいたという感じでした。

一方、15日にカブールが落ちると、パニック状態になった人々が国外脱出しようと空港に押し寄せます。

滑走路から飛び立つアメリカの輸送機に死に物狂いでしがみついたり、車輪の格納部に隠れたり、威嚇射撃を受けたりして、多くの方が亡くなりました。飛行機から落ちた人の中には、ユースチームのサッカー選手やお医者さんもいたんですよ。

かつてのタリバン支配を知っている人には恐怖の記憶が残っているし、若い人たちもそれを伝え聞いています。この20年でタリバンが変わったかどうかは誰にもわからないし、これまでも国内には極度の貧困が蔓延していた。

このうえタリバンが来て学校に行けなくなったり、生活がさらに不自由になったり、殺される恐怖を味わったりするくらいなら、もうこの国にいる意味はない。そう思った人も多かったのでしょう。

あのときは、欧米系組織などに勤めている人は無料で輸送機に乗れたので、そのドサクサにまぎれて国外に出た人もたくさんいました。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板