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スーフィズムに関するHP
3569
:
チバQ
:2022/07/28(木) 21:42:23
中村さんの事業で恩恵を受けたナンガルハル州4地区の人々は、中村さんを尊敬してやまない。中村さんは、うれしそうに「ハジサイーブ・ナカムラ」と電話してきてくれる人がいるんだと話してくれた。ハジサイーブは、イスラム教徒のアフガン人が尊敬する人に対して使う敬称。中村さんはキリスト教徒だが、人々がもう、アフガン人と認めた証しだ。
長年の干ばつでサトウキビやオレンジなどの農作物が耕作不可能になっていたナンガルハル州。耕作地は、れんが工場と変わり果てた。しかし、中村さん率いる日本の支援による灌漑事業で再びサトウキビやオレンジの栽培が始まった。サトウキビからとれる黒糖やオレンジはかつてはナンガルハル州の特産物だった。
特産品の復活とともに古き良き文化も復活した。オレンジの花が咲く頃には、人々はピクニックに繰り出し「オレンジの歌会」が催される。アフガン産の黒糖を口に含んだ老人は「これが昔の味だ」とほほ笑んだ。夢見ていた古き良きアフガン文化の復活も果たすことができたのに、肝心の中村さん本人の姿をもう見ることができない。
これが最後のインタビューになるとはそのときは思いもしなかった。改めて失った人の大きさが身に染みる。ご存命の頃は「何だか頑固で変わった人」と思うことも正直多々あった。中村さんと知り合いになり30年以上たったいま、やっと私自身の中での中村さんの素晴らしさや偉大さを理解できたように思う。「もっといっぱいお話ししたかった」と今更のように思うがもう手遅れ。悲しく残念無念だ。
中村さんの活動するNGOに対する治安の脅威情報は早い時期から出ていたと思う。インタビューでも「私のボディーガードは、村人達。警官であっても私たちを簡単に攻撃できる」と警官にも注意を払っていた。2010年にペシャワール会の伊藤和也さんが誘拐され、銃撃を受けて亡くなった事件も今回の事件との関わりがあったのだと思う。だが、伊藤さんの事件捜査はうやむやになってしまい、真相は闇の中だ。
中村さんとの交流は30年にも及んだ。アフガニスタンで苦労を重ねてきた同じ日本人として、誰になぜ殺害されなければならなかったのか。人脈や情報源をたどり、イスラム主義組織タリバンが政権を掌握してからも、アフガンに住む日本人として私なりに取材を続けている。近日中に、その追跡取材について報告させていただきたい。
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