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スーフィズムに関するHP

3568チバQ:2022/07/28(木) 21:42:13
 「アフガン復興で教育も大事だがまず、国民が食べることが必要」と始まった。「食べられない人をどう食べられるようにするかという部分が忘れ去られている」と貧困解消の重要性を中村さんは説いた。本当にその通りだと私も大いに納得。特に支援は都市部に集中し、地方が忘れられていると言う。農村が取り残されている理由は、それを伝えるすべがなかったからだ。英語を話し、国際社会とコミュニケーションがとれるような人は農村には暮らしておらず、もしそういう人がいたとしても他人ごとで済ませてしまっている。

 さらに中村さんは「もし(国際テロ組織アルカイダに暗殺された)国民的英雄のマスードが生きていれば真っ先に農村の支援を始めたはずだ」と言った。中村さんの口から意外な言葉が出たのに驚いた。というのも中村さんは、私利私欲で戦う90年代の内戦の司令官を嫌っていた。しかし、マスードの人となりを自分なりに理解した結果の言葉なのかも知れないなと思った。

「何がそこまで先生を動かすのですか?」と尋ねると「特別な理由はない。今、目の前にある人としてすべきことをしているだけ」と話し「(人々と交わした)約束は果たす。生きている限り永久に活動は続く」と断言した。

 引退を考えているのかも聞いてみた。「(事業の他州への拡大も含め)将来的な事を考えるとJICAと組むことで国家機関が何らかの形で関わるということは息の長い支援には必要。灌漑事業には10〜20年の歳月が必要で、私が死んでもJICAが資金協力し、共同事業としてプロジェクトが続くと信じている」と話してくれた。中村さんを長年見てきた私には、医師として活動されていた頃から、あまりに偉大な中村さんの後継者が見つからない状況を見てきた。この話を聞いた時、私自身の中でも何だか「ほっ」としたのと同時に、お疲れさまですがもう少し頑張ってもらいたいと思わずにはいられなかった。

 さらに続けて「10年もしないうちに私もボケるか死ぬかな?」と笑いながら話され「先生、今おいくつですか」と聞くと「70歳」と答えられ「いやぁ、まだまだでしょう。100歳まで長生きして下さい」といってスタッフと一緒に笑ったのが昨日のように思い出される。80歳を待たず、先生は73歳で凶弾に倒れてしまった。

カブール国際空港から空路移送される中村哲さんの柩=2019年12月

 ▽アフガンに命をささげたハジサイーブ・ナカムラ

 翌日、緑の大地に変わったガンベリ砂漠を訪れた。からっからだった砂漠は、目を見張るほど山の際まで緑で覆い尽くされていた。もう、感動以外の何物でもない。素晴らしい成果に思わず涙が出そうになった。中村さんもガンベリ砂漠を見渡す丘の上で腕組みをしながら緑地を見つめていた。

 「ペシャワールで医者として働いていた頃、今の自分を想像できましたか?」と尋ねた。「ペシャワールの頃は、考えもしなかった。アフガニスタンは、自分に合っていると思う。ここにいる方が日本にいるよりも居心地が良い」と話した。アフガニスタンにいる間は、100%アフガン料理を食し、特に豆料理が好きだったという中村さん。20年以上共に働く右腕的存在のジサさんは「こんなにアフガン人の事を思ってくれ一生懸命私たちのために働いてくれる人は他にはいない。給料がなくても中村先生と共に歩んでいきたい」と話した。


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