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スーフィズムに関するHP
3566
:
チバQ
:2022/07/28(木) 21:41:31
▽国を捨て逃げたガニ大統領
タリバンは8月14日、カブールの隣接州ロガールやワルダクを制圧した。政府の治安関係者は皆職場から逃げ出していた。首都が陥落した15日午前10時、モハマディ国防相はガニ大統領との電話で緊急会議を提案する。ガニ氏は「モへブに伝える」と言って電話を切った。正午ごろ、大統領警護班が国防省に来たので会議のために大統領が来ると思い待っていた。150人近くの警護班がヘリポートに集まっていた。
1時間後、警護班は大統領府へと戻って行った。午後2時ごろ、常駐しているヘリ3機が大統領府から飛び立つのが見えた。10分後カルザイ元大統領から電話で「ガニが逃亡した」と告げられた。続けてカルザイ氏は「ガニが国を滅ぼすと言っただろ」と電話口で声を荒らげた。
150人の警護班を国防省に送ったのは、逃亡を邪魔されないため、シンパ以外の警護班を遠ざけたと後に知ることになった。ヘリはウズベキスタン・テルメズの空港に着陸し、その後アラブ首長国連邦(UAE)の旅客機でアブダビへと向かった。
▽パシュトゥン至上主義者の大きな過ち
30万人とされた国軍を持つガニ政権がほぼ全土をタリバンに制圧され、軍の崩壊を招いた原因はガニ氏だ。就任以降、政権をガニ氏と同じ多数派パシュトゥン人で構成されるタリバンに引き渡すことを企図したと取られてもおかしくない政策が進められた。
タリバンが装備、技術、士気どれを取っても劣る国軍に戦いを挑んでも勝ち目がないのは一目瞭然だった。ガニ氏とモへブ氏は戦闘激化の中、経験不足の司令官を前線に送り、退役年齢を早め、経験豊かな兵士を排除した。その結果多くの殉死者を出し、国軍は士気や統率力を失った。
陥落1週間前には、モへブ氏が国軍指揮官として働き、兵士らにタリバンに投降するように指令を出していた。モハマディ氏がガニ氏に直訴しても「大丈夫」と言うだけで、何も行動を起こさなかった。
タリバンと米国との和平合意も戦況に大いに影響を与えた。合意文書に従って釈放された捕虜はタリバンに再び合流。空爆による米軍の支援もなくなり、ろくな戦闘機を持たず、機材整備もままならない空軍にできることは限られていた。国軍兵士の士気低下や逃亡により、戦況はタリバン優位に一気に傾いた。
首都陥落前日、モハマディ氏はカブールにある国軍基地に足を運び驚いた。3部隊5千人以上所属していた兵士のうち、残っていたのはたった9人だった。相次ぐ兵士の投降でほとんどの州で戦闘は終わっており、アフガンでパシュトゥン人の次に多いタジク人の故マスード氏やモハマディ氏の故郷であるパンジシール州以外のほぼ全てをタリバンは既に掌握していた。
タリバンが首都に迫った時、ガニ氏は米国が空爆で支援してくれると思っていたはずだ。だが、支援はなく、米国に見捨てられたと感じたガニ氏は「国を捨て国民を犠牲にして逃亡した」とモハマディ氏は言う。
▽祖国の崩壊を目の当たりに
国防相に就任した時点でここまで状況が悪化しているとは思いもしなかった。それでも何とか戦況の立て直しを考えたが、大統領自身が国軍弱体化を進める中でどうすることもできなかった。辞任も考えたが思いとどまり最後まで状況を見届けようと決めた。クーデターも考えたが、自身に味方する兵士も全て失った状況では何もできなかった。
8月15日夕方4時ごろまで国防省にいたが、タリバンが国防省に迫っていたこともあり、部下数人と空港に向かった。混乱した空港には故マスード氏の息子であるアフマド・マスード氏もいた。話し合ってパンジシール州へ避難することになり、1機だけあったヘリでまずアフマド・マスード氏を送り、その後戻ったヘリで自身もパンジシールへ行く予定だった。しかし、ヘリは戻らない。そのまま混乱した空港でやきもきしていると、アラブ首長国連邦(UAE)の軍人の手はずで軍用機に乗れることになり、UAEに向け離陸。深夜0時になっていた。
ガニ政権国防省の統計によると、国軍が発足した20年前からの殉職者は計約3万3千人。うち19年から21年だけで1万2609人に上る。米軍撤退期限発表後はさらにひどく、21年3月から8月15日の首都陥落までに約6千人が死亡した。政権末期の混乱で、どれほどの孤児や寡婦が生み出されたか計り知れない。
ガニ氏の行動は、古来続くアフガニスタン固有の民族優先主義を浮かび上がらせた。最後の40日間を国防相として務めたモハマディ氏は、タリバンが国民の立場に立ち国際社会の求める国造りを進めるまで抵抗運動を続けるつもりだ。
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