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スーフィズムに関するHP

3559チバQ:2022/07/28(木) 21:39:09
 着陸し滑走路から駐機場に移動し、まず目についたのが空港にはためく白旗だ。今までは黒、赤、緑のアフガニスタン共和国旗だったのが、白地に黒字でコーランが書かれたタリバンの旗が10基以上ひるがえっていた。11月のカブールはやはり寒い。夏に退避したため夏物の服しか持っていなかった。

 ターミナルへバスで移動途中にも長髪でカラシニコフ銃を持ったタリバン兵の姿が目についた。まだ制服もそろわないようで、私服の兵士も多い。ターミナルビルは閑散としていて到着客が50人ほど。顔なじみの荷運び人と言葉を交わし、税関を抜け駐車場へ向かった。入国審査官も警備関係者も以前と同じ職員だ。ただ、制服ではなく私服での勤務だった。

 知り合いの女性警官は「タリバンから制服は着るなと言われた」と話した。悲しいかな、以前のようにゆっくりおしゃべりもできなかった。夕焼けを背に、空港でよく見ていた「I♥KABUL」の文字が妙に懐かしく思えた。

 ▽同じ街だけど何かが違う

 陥落時に比べ、人も車もタリバン兵の数も減ったなぁというのが3カ月ぶりのカブールの第一印象だった。8月の退避で20万人以上が国外に出たわけで、人が少ないのも納得できる。首都陥落当初は、地方から多くのタリバン兵がまだ見ぬ首都見物に来ていたので多く感じただけなのか? 皆地元へ帰ったのか、タリバン兵の数もずいぶん減っていた。

 

 街は一見落ち着いて見えるが、グレーの制服を着た旧政権の警官を見慣れていたせいか、以前と同じ緑色の警察車両に乗る長髪でカラフルな民族服にカラシニコフ銃を持ったタリバン兵にどうも違和感を抱かずにはいられなかった。それは、それから半年たった今でも同じだ。

 自宅に戻るとカレンダーも8月のまま、時計も電池切れで止まっていた。その瞬間、3カ月前を思い出し急に脱力感に襲われた。一体あの騒動は何だったんだろうか、と今更ながらに思ったりした。留守宅を守ってくれていた門番もペットの猫や犬も皆元気でそれだけが救いだった。

ブルカとヘジャブの女性ら タリバンが女性の着用を奨励するブルカ(右ブルーの集団)とヘジャブ(左の黒いコート)

 退避時には、タリバンが自宅へ入って来るかもしれないと大切なものをいろんなところにしまったりして、戻った時にはどこにあるのか分からなくなっていた。

 今でも見つかっていないものが多々ある。ペシャワール会の現地代表で、凶弾に倒れた中村哲さんの記念切手もどこにしまったんだか、見つからない。一緒に退避した両親と祖父母の位牌は、一緒に戻ってアフガン製の仏壇に納めた。

 ▽音楽は禁止、とても多い女性への規則

 家事の中で洗濯が一番好きな私。というのもカブールの気候は、乾燥していて気持ちが良いからだ。日本にはない真っ青の青空もいい。アマゾンミュージックで1980年代のポップスをスピーカでつなげて聞きながら洗濯をバルコニーに干すのが日課だった。宗教音楽以外の楽曲を禁じるタリバン政権になってからはそれもできなくなった。家の中では聞いているが、外では聞くことができない。

 ほかにも、おしゃれ好きにはつらいことが多い。体の線を隠すためにブルカと呼ばれる頭からすっぽり覆うマント、もしくは、アフガンではヘジャブと呼ぶ黒色の足首まである黒いコートの着用が義務づけられたため、すてきな服を着ても人から見てもらえないのだ。


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