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スーフィズムに関するHP

3400チバQ:2021/09/01(水) 21:59:22
■8月20日 自衛隊派遣へ 「空港内だけなら安全」と解釈

しかし、その後、アメリカ軍が8月末のアフガンからの撤退期限を延長しないことが明らかになり、情勢は切迫度を増していく。事態が動いたのは20日・金曜日の夜。法的問題を検討する国際法局の幹部が遅くまで残って自衛隊機派遣に向けた本格的検討が行われた。法律面で最大の問題となったのが、自衛隊員の安全確保。自衛隊法上、派遣ができるのは「輸送を安全に実施することができると認められる時」に限られていたのだ。そこで外務省は落ち着きを取り戻しつつあったカブール空港について「アメリカ軍の管理下にあり、空港内だけでの活動なら安全は確保できる」と解釈、最終的に自衛隊の派遣は可能だと結論付けた。

官邸幹部の1人は、欧米各国や韓国に比べて自衛隊の派遣が遅れた原因について「この自衛隊法上のハードルがネックになり、検討と決定に時間がかかった」と指摘する。

■8月22日 先遣隊出発自衛隊の輸送機がアフガンへ

そして22日・日曜日の午後、首相公邸の菅首相のもとに外務省や防衛省の幹部らが集まり、自衛隊機を派遣する方針が確認された。この日の夜遅くには、成田空港から先遣隊となる外務省職員や自衛隊員がひそかに出国。翌23日に正式に派遣が決まり、早速、夕方には自衛隊機が現地に出発した。

■8月25日 自衛隊機が到着バスを使った輸送作戦に転換

25日には、自衛隊のC2輸送機が拠点のパキスタン・イスラマバードを経て、カブール空港に到着した。しかし、この時点でタリバンの検問を通過して空港にたどり着けた退避希望者はゼロ。政府は自力で空港に来てもらうのは難しいと判断、バスを準備した上で退避希望者に集まってもらい、一気に空港まで運ぶ作戦に転換した。
■8月26日 空港周辺で爆発 アフガン人職員らは足止め

ところが26日、バスによる輸送作戦が敢行される、まさにその時に起きたのがカブール空港近くでの大規模な爆発だった。ある政府関係者は「爆発が痛かった。空港の外は安全が確保されていないので、自衛隊が外に出て退避希望者を守りながら連れてくることもできなかった」と振り返る。

■8月27日 日本人1人を輸送自衛隊機はパキスタンへ撤退

27日になると、ようやく日本人1人を自衛隊機で退避させることに成功した。しかし、そもそも退避を希望する日本人はアフガン国内にはほとんど残っていなかった。最大の課題であるアフガン人職員らの退避は、爆発による治安悪化もあり、空港まで移動できず断念。活動期限が迫る中、自衛隊員や外務省の職員はパキスタンのイスラマバードまで撤退することとなった。

翌28日にはアメリカ軍もカブール空港からの撤退を開始、最終的にアフガン人職員ら退避希望者約500人が現地に取り残されることとなった。各国が軍用機を投入し多くの人々の退避に成功する中、「日本の独り負け」と言われても仕方のない結果だった。

■幹部ら「遅かったと思わない」反省点・改善点との真摯な向き合いを

今回の退避について。外務省は当初、オペレーションが継続していることを理由に詳しい経緯をほとんど明らかにしなかったが、外務省幹部の多くは「やるべきことはやった。自衛隊機の派遣が遅かったとは思っていない」と口々に繰り返す。たしかにアフガン人職員らの退避に向けた努力が続く中、現時点で犯人捜しや、誰かの責任を追及する必要はないのかもしれない。

しかし、一方で早い段階で「問題はなかった」と決めつけてしまうことは、重要な改善点や反省点を埋もれさせてしまうのではないだろうか。次のオペレーションの教訓とするためにも、外務省をはじめ、政府には「退避失敗」という重い現実に真摯に向き合うことが求められる。


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