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スーフィズムに関するHP

3299チバQ:2021/08/17(火) 19:36:59
勝負の帰趨が見えたら勝ち馬に乗る
部族抗争を繰り返してきたアフガニスタンの人々は勝負の行方を見定めるのに長けてもいる。一例を紹介したい。

今や昔の30年以上前、当時、ソビエト軍が駐留していたカブールに筆者は取材のために赴いた。そこで紹介されたのがホテルの通信担当を務める初老の御仁であった。アフガニスタン人にしては大変背が高かったのを鮮明に覚えている。

当時、国外との通信手段は今や存在しないテレックスのみ。彼はホテルでこれを担当していたので、彼のご機嫌取りは必須だった。

何度かやり取りをするうちに打ち解けた彼は、長男はカブールで彼と一緒だが、次男はペシャワールに居ると言った。しっかり両天秤を掛けていたのである。

解説すると、当時、カブールにはソビエトに支援された政権があったのだが、アメリカに支援された反ソビエト有志連合軍がひたひたと迫り、ソビエト軍の撤退とその後のカブールの陥落が目前になっていた。

その反ソビエト有志連合軍の拠点の一つがペシャワールであった。

つまり、ホテルのテレックス担当の御仁はどちら側が勝っても、反対側の家族を助けられるよう両側で息子を働かせていたのである。聞けば、似たような話は珍しくなかった。

勝負の帰趨が見えてきたら、多数派が勝ち馬に乗ろうとするのは自然である。

もう一つ覚えていることがある。彼はこう言った。「ゴルバディンはマッドだ」と。

ゴルバディンとは、当時の有志連合軍の有力司令官の一人、ゴルバディン・ヘクマチアルのことで、後にアフガニスタンを支配したタリバンの有力者としても知られた。彼らの原理主義は既に現地では知られ警戒されていたのである。

余談になるかもしれないが、当時、タリバンという名前は聞いたことが無かった。まだ、出来ていなかったのかもしれない。オサマ・ビン・ラディンは有志連合軍のメンバーだったが、アルカイダはまだ設立されていなかったと理解している。

今やゴルバディン・ヘクマチアルもオサマ・ビン・ラディンも亡いのだが、旧政府側となった人々への報復や女性への非道がやはり大いに心配になる。


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