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スーフィズムに関するHP
2844
:
とはずがたり
:2020/01/06(月) 22:30:00
スレイマニ司令官は、イラクやアフガニスタンのシーア派民兵、レバノンのシーア派武装組織「ヒズボラ」、イエメンのシーア派組織「フーシ」を支援し、武器や資金を提供してきた。スレイマニ司令官の手腕と役割が最も影響力を示したのは、シリア内戦である。アサド政権は2012年から13年春にかけて、反体制派勢力、特に武装イスラム勢力の攻勢を受けて、危機に面していた。それが現在に至る攻勢に転じたのは、13年4月にレバノンのシーア派のヒズボラがシリア北部の要所クサイルの奪回作戦に参戦し、2カ月間の激戦で奪回してからである。その後、シリアにはヒズボラだけでなく、イラクやアフガンのシーア派民兵が参戦し、アサド政権軍の攻勢を担った。
イランの国外でスレイマニ司令官の姿がメディアに出ることは特別な機会以外はないが、2016年12月初め、シリアのアサド政権軍がシリア北部の反体制勢力の拠点だったアレッポ市東部を制圧している最中に、スレイマニ司令官は制圧された地域の通りを歩いたり、イラクやアフガンのシーア派民兵たちに囲まれたりする様子がメディアに公開された。アレッポ東部の陥落はアサド政権の決定的な優勢と、反体制勢力の劣勢を印象付けた出来事だった。スレイマニ司令官が現地を訪れる映像が流れたのは、掃討作戦の主力をになったシーア派民兵を統率する同司令官の影響力を誇示する狙いとも見られた。
イエメン内戦ではフーシは首都サヌアを制圧し、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)が支援する暫定政権を圧倒している。昨年9月にはフーシによるサウジ国内の石油施設のドローン攻撃によって、サウジの石油生産の一日生産量の半分にあたる日量570万バレルが減少したとサウジ政府が発表した。世界の石油供給の5%に相当する。ドローン技術はイランの革命防衛隊から提供されたとの見方が強く、レバノンのヒズボラがドローンやミサイル発射でフーシを支援しているという見方もある。事実かどうかは分からないが、各地のシーア派民兵組織を束ねるスレイマニ司令官がいることで、シーア派組織間の連携は可能になる。スレイマニ司令官は一人の司令官というだけでなく、米国に対抗する手段と戦略を持った人物だったのである。
トランプ大統領は声明の中で、スレイマニ司令官指揮下のクドス部隊が「20年にわたってテロ活動に関わった」と述べたが、この20年間に中東で起こったことを見れば、米国は中東に軍事的に関与したいくつかの重大な軍事的局面でイランの協力を得ている。
まず2001年の9・11米同時多発テロの後に、米軍主導の北大西洋条約機構 (NATO)軍がアフガニスタンの北部同盟と協力して、過激派組織アルカイダを庇護していたタリバン政権を排除し、アルカイダの拠点を掃討したアフガニスタン戦争にイランは協力した。北部同盟にはアフガンのシーア派勢力も含まれ、イランは戦争前から北部同盟を支援していた。
次は、2003年のイラク戦争後に米軍占領下で創設された統治評議会に参加したイスラム革命最高評議会やダワ党などシーア派組織は、旧フセイン体制時代にイランに拠点を置いていた。シーア派政治組織が米占領体制と戦後復興に参画したのは、イランの意図があったと考えるしかない。
さらに2014年にイラクの第2の都市モスルが「イスラム国」(IS)に支配された後、シーア派民兵各組織はスレイマニ司令官のもとでIS掃討作戦を行う民衆動員部隊をつくり、米国が勧めたIS掃討作戦に協力した。2017年7月にイラク軍が米軍主導の有志連合による空爆の支援を受けて、ISが支配したモスルを制圧した時、シーア派民兵組織の民衆動員部隊も参加していた。
当時、イラクの治安関係に近い人物と連絡をとったところ、「バグダッドにある民兵組織が集まる作戦本部は、イラク軍や内務省から独立していて、イラク政府の指令は受けない。その作戦会議を仕切っているのはスレイマニ司令官だ」という話を聞いた。
今回、米軍による暗殺作戦でスレイマニ司令官と共に殺害されたイラク人の一人ムハンディス司令官は、民兵組織イラク・ヒズボラを率い、民衆動員部隊の副司令官で、スレイマニ司令官の右腕だった人物である。イラク・ヒズボラは2016年12月にスレイマニ司令官がアレッポの前線を訪れた時のビデオや写真にも登場する。ムハンディス司令官とイラク・ヒズボラは、イラクだけでなく、シリアでも、スレイマニ司令官の手足となっていたことが分かる。
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