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2782チバQ:2019/10/20(日) 20:38:59
https://www.jiji.com/jc/v4?id=20191015world0001
【地球コラム】国際政治の荒波に消えたクルド人の「夢」


トランプ氏のシリア撤退決断で事態は突如暗転
シリア北部アフリンで、遺体が戻らないまま葬儀に参列するクルド人女性兵士の親族(左)や母親(中央)=2018年2月3日、アフリン【AFP時事】
シリア北部アフリンで、遺体が戻らないまま葬儀に参列するクルド人女性兵士の親族(左)や母親(中央)=2018年2月3日、アフリン【AFP時事】

 「国家を持たない最大の民族」との枕ことばで語られる少数民族クルド人が、またも大国による国際政治の荒波に飲まれた。シリア内戦の混乱で、シリア北部に住むクルド人は「ロジャバ」と呼ばれる事実上の自治権を持つ地域を確立して沸き返った。

 だが、シリアは米国やロシアのみならず、地域大国のトルコやイランなどが軍事介入する代理戦争の舞台だった。クルド人の後ろ盾となっていた米国のトランプ大統領がシリアから撤兵を決断したことで、事態は突如暗転した。(中東ジャーナリスト 池滝和秀)

IS掃討で難題抱えた米国
シリア北部マンビジュ近郊に展開する米軍の装甲車=2017年3月5日、マンビジュ【AFP時事】
シリア北部マンビジュ近郊に展開する米軍の装甲車=2017年3月5日、マンビジュ【AFP時事】

 米国は、シリア北部で難題に直面してきた。シリア内戦に対するオバマ前政権やトランプ政権の一貫しない政策に比べ、ロシアやイランは、反体制派の攻勢で窮地に立ったアサド政権をテコ入れするため軍事介入。アサド政権の存続を確実にしただけではなく、シリアに足場を築いた。これに対し、米国は過激派組織「イスラム国」(IS)の台頭でシリア内戦への関与を迫られ、不承不承、対応に乗り出したのが問題の始まりだった。

 IS掃討には、地上部隊の派遣が必要だったが、イラク戦争で多数の米兵を失った記憶がなお生々しい米国民の理解を得るのは困難だった。そこで米国は友軍となる勢力をシリア反体制派の中から探したが、イスラム教スンニ派の反体制派が信奉する過激なイスラム思想や、組織力のなさが障害となり、友軍の育成は難航した。最終的に頼ったのがクルド人勢力である。

 米国が友軍としたのは、クルド人主体の武装勢力「シリア民主軍(SDF)」。その主力は、クルド人組織「民主統一党(PYD)」傘下の民兵部隊「 クルド人民防衛部隊(YPG)」だ。クルド人は統率が取れて勇猛果敢な兵士として知られている。ところが、YPGは、トルコが「テロリスト」と見なす組織だった。こうした組織が米軍から軍事訓練を施され、武器を供与されることにトルコは強く反発した。

 トルコはなぜYPGをテロリストとして扱うのか。クルド人は、第1次世界大戦後の1923年に締結されたローザンヌ条約で国家建設の道を閉ざされた。トルコには現在、人口の約4分の1に相当する約2000万人のクルド人が居住しており、同じくクルド人を抱えながらも割合の小さいイラクやイラン、シリアなどに比べ、クルド人問題には神経質にならざるを得ない。トルコでは、非合法武装組織「クルド労働者党(PKK)」が武装闘争を続けており、今も治安を脅かす。

 トルコは、PKKとシリアのYPGを一体的な組織と見なしている。筆者がシリア内戦下の2013年、YPGの支配地域だったシリア北部に入った際、トルコで自爆作戦などを実行して死亡したYPGやPKKの戦闘員の写真が街頭に華々しく掲げられていた。シリア北部がトルコへの出撃拠点になっていた。


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