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スーフィズムに関するHP

2364チバQ:2018/05/16(水) 19:54:28
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180516-00000520-san-m_est
エジプト大統領、強まる独裁度…2期目シーシー氏はムバラク氏を上回るか
5/16(水) 10:30配信 産経新聞
 中東の大国エジプトで6月、アブドルファッターフ・シーシー大統領(63)の2期目政権がスタートする。3月の大統領選で対抗馬らを事前拘束するなど強権色を強めているとの評価がつきまとうシーシー氏。その手法は、2011年の「アラブの春」で失脚したホスニー・ムバラク元大統領(90)の時代への「先祖返り」といわれるが、新旧大統領はどちらがより“独裁的”なのだろうか。(前中東支局長 大内清)

■共通する強権ぶり

 エジプト人は、何でも冗談のネタにして笑い飛ばすのが好きだ。英誌エコノミストが最近、ムバラク時代に広まったこんなジョークを紹介していた。

 「ある時、神様が大統領に告死天使アズライルを遣わした。だが、アズライルは大統領に死を告げる前に治安機関に捕まってしまった。散々に痛めつけられて天国に戻ると、神様が青ざめて言った。『私の名前は出してないだろうな?』」

 神様でさえエジプト治安機関の悪名高さを恐れている-という小話だ。

 1981年から約30年続いたムバラク政権では非常事態令が維持され、治安機関には令状なしで身柄拘束や家宅捜索を行うなどの権限が与えられた。イスラム過激派によるとみられるテロが時折発生したことが治安機関への権限付与につながっていた面を差し引いても、警官の横暴ぶりは目に余るものがあった。

 この小話に限らず、強権国家ぶりを揶揄するジョークは多かったが、それらは2014年に誕生したシーシー政権にも当てはまる。

 13年に国防相だったシーシー氏が主導したクーデターで政権を追われたイスラム原理主義組織ムスリム同胞団や、東部シナイ半島を拠点とする「イスラム国」(IS)系武装勢力を取り締まる名目で、容疑も不確かな人が拘束されるケースは後を絶たない。やり方は非常に乱暴で、怪しいとされた人物やその親戚、友人、場合によっては同じアパートに住んでいるだけの人まで、ひとまずまとめて連行してしまうこともある。いわば「底引き網漁方式」だ。

 短期的な治安回復には効果があるが、時に拷問まで受ける拘束対象者には政権への恨みが残るため、治安機関はさらに監視を強化する。この悪循環は、今もムバラク時代も変わらない。

■ムバラク氏の党内調整

 シーシー氏とムバラク氏はともに軍出身で、軍を権力基盤とすることも共通点だ。だが、大統領としての統治手法は大きく異なる。

 ムバラク時代には、国民民主党(NDP)という巨大与党が存在し、ムバラク氏は党首に君臨した。NDPには規制緩和を唱える新自由主義的な勢力から社会主義的な勢力まで、さまざまなグループが同居し、政商らも多かった。政治理念ではなく、政権に連なることによる利益でまとまった組織で、議会選では、同じ選挙区にNDPから複数の候補が出馬し泥仕合となることも珍しくなかった。

 その中でムバラク氏の役割は、党内で対立する利害を調整することにあった。

 ムバラク時代の2010年に行われた議会選で、NDPの候補同士で議席を争っていたケースを取材したことがある。候補の一人に、遺恨が残りかねない戦いをどう決着させるのかと尋ねると、「最後は大統領が決めるだろう」と話していたのが印象的だった。票の操作が常態化していたとされるエジプトの選挙では、最終的な当落はムバラク氏次第-というわけだ。

 ただし、裁定があまりに一方的なら、不満分子を増やすことになる。ムバラク氏は、党内の勢力バランスが大きく崩れないよう振る舞う必要があったのだ。民主化を抑制し、NDPを肥大化させた結果だとはいえ、「独裁」イメージとは裏腹に、ムバラク氏は党に一定の“気遣い”をせざるを得ず、それが独裁の歯止めとなっていた面がある。


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