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スーフィズムに関するHP

2292とはずがたり:2018/02/04(日) 16:48:47

コラム:イラクでの「勝利」が米国にもたらす悲劇
https://jp.reuters.com/article/vanburen-iraq-idJPKBN1FM097
Peter Van Buren

[29日 ロイター] - イラクのアバディ首相は昨年12月9日、イスラム系過激派組織「イスラム国(IS)」に対する勝利を宣言。今後も若干の戦闘はあるだろうが、実質的には戦争は終わった。

だがそこには、戦勝祝賀のパレードも、引き倒される銅像もなく、「これにて任務完了」という瞬間もなかった。数年前であれば米紙の1面を賑わせたはずだが、トランプ米大統領がこの出来事についてツイッターに投稿することさえなかった。

それは、米国政府として祝賀すべき理由がほとんど無いからだ。

イラクにおいて次に大きな節目となるのは、5月実施予定の選挙だ。「ポストIS」のイラク情勢は徐々に明らかになりつつある。だが、IS打倒戦略は成功したのか、イラクにおけるアメリカの戦争は終結したのか、という問いに答えることは簡単ではない。

現在、目を引くのは、米国の影響力が顕著に低下していることだ。

5月の選挙で首相候補として有力なのはアバディ現首相とマリキ前首相だが、両候補ともシーア派のダアワ党所属であり、イランと関係が深い。どちらもよく知られている。マリキ前首相は、2006年、2010年選挙において、米駐留軍の大半が撤退するなか、スンナ派、シーア派、クルド人勢力をまとめ上げてイラクを統合する「米国の大きな希望」と呼ばれた。2014年選挙で、IS打倒に向けて再び米軍が増派される中、やはり米国の期待を担ったのがアバディ首相である。

イランに近いグループに支持されているシーア派のアバディ首相は、宗派横断的な勢力のトップとして国政に当たっていると自身を語る。前任者のいマリキ氏もイランと親密な立場にあるが、ISに国土の3分の1を占拠される事態をイラク軍が防げなかったのは、同氏の責任だったとして、イラク政界では広く批判されている。

首相在任時のマリキ氏は、米国による占領の末期、ジョージ・W・ブッシュ米大統領が命じた米軍部隊の「急増」を継承せず、スンニ派はマリキ氏を支持するシーア派勢力による圧迫を受けた。

米軍の占領終結後、まさに米軍の最後の戦闘部隊が撤退した翌日、当時のマリキ首相がまず試みたのは、自政権のスンニ派副首相を逮捕することだった。2014年、マリキ氏はスンニ派中心のアンバール県の軍部隊を解散させ、この動きがISをイラクへと引き寄せた。その後、米国の働きかけにより、マリキ氏はアバディ氏に政権を譲った。

だが米国からの高い期待にもかかわらず、アバディ首相は、統一イラクに向けた最低限の基礎固めである、シーア派主導の国内司法、軍、警察部隊にスンニ派を取り込む努力をほとんどしなかった。スンニ派のための経済的な機会も創出せず、公共サービスも提供しなかった。


むしろ同首相は、イラン政府への支持を深めることによってスンニ派とのあいだに新たな亀裂を生み出し、これまでの亀裂を固定化してしまった。さらに、イラン主導のシーア派民兵約12万人を、スンニ派住民が暮らす主要地域に送り込んだ。米国のオバマ、トランプ両政権はアバディ首相と密接に協力して、ついにイラク領内のISを打倒したが、その過程でイラクのスンニ派が犠牲になっている。

オバマ、トランプ両政権の戦略は古くさいものだった。イラク国内にISが1人もいなくなるまで殺し続け、あとはその余韻のなかで、イランとシーア派イラク人がスンニ派をどうしようが自由にさせる、というものだ。2003─2011年のイラク戦争から学んだ教訓だ。

今回は、戦闘終結から撤退までのあいだに、政治的フォローアップもなく、国家構築もない。たとえイラン政府の影響下でバグダッドにシーア派が独占する政権が生まれることを意味しようとも、米国はイラクの内政には何の配慮もしないというのだ。

暴力的な要素は少ないとはいえ、同じような放任政策がクルド問題の当面の解決に向けても採用された。

2017年9月、クルド人は住民投票によりイラクからの独立を決議したが、彼らの運命がすでに決していたことを知るだけに終わった。米国政府は傍観し、シーア派民兵が石油資源に富むキルクークを含む係争地域からクルド人勢力を排除したのだ。


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