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スーフィズムに関するHP

2193とはずがたり:2017/11/19(日) 17:45:01

「彼は会合に出かけ、戻ってこなかった」。拘束された一部の人々と繋がりのある第2の関係者はそう語る。

拘束されている人々のなかには、国際投資会社「キングダム・ホールディング」の会長であり、ムハンマド王子の従兄である富豪のワリード・ビン・タラール王子や、元リヤド知事で故アブドラ前国王の息子トルキー・ビン・アブドラ王子も含まれている。

一部の王室ウォッチャーによれば、夏に開かれていた王族会合で、対立は明らかになっていたという。ムトイブ王子を含む有力王族の一部が、ムハンマド王子の皇太子昇格を快く思っていないことは、同皇太子もよく分かっていた、と内部関係者は語った。

サウジ国内で「MbS」というイニシャルで呼ばれることの多いムハンマド王子はかつて、国内にはびこる汚職の捜査を進め、トップ官僚の摘発も躊躇しない、とインタビューなどで公言していた。

その手段となったのが、サルマン国王が創設し、4日発表された汚職対策委員会だ。国王はムハンマド皇太子を同委員会のトップに据え、過去3年間に同皇太子に与えた数々の権力をさらに強化した。

サウジ当局は、これまでの汚職捜査で208人の容疑者を取り調べ、汚職によって不正取得された金額は少なくとも1000億ドル(約11兆3000億円)と推定される、とサウジのシェイフ・サウド司法長官は9日述べた。汚職対策の委員長は、捜査官は過去3年間証拠を集めてきたと語る。

汚職との戦いによって、ムハンマド皇太子は国民に人気の高い政策遂行と、自身の王位継承に対する障害排除を組み合わせた格好だ。

「MbS(ムハンマド皇太子)は、誰でも標的にできる汚職撲滅というムチを振るった」。1979年から2001年まで情報機関トップを務めたトルキー・アル・ファイサル王子の元顧問ジャマル・カショーギ氏はそう語る。「われわれは、王子たちが汚職の容疑で取り調べを受ける姿を初めて目撃している」

だが、ムハンマド皇太子は粛清の対象を注意深く選別している、と米国在住のカショーギ氏は指摘する。

「MbSは自国を愛するナショナリストであり、自国を最強にしたいと考えているが、彼の問題は、自分1人で統治したいと考えている点だ」とカショーギ氏は言う。

事実上の支配者
ムハンマド皇太子は、サルマン国王が即位した2015年、国防大臣に任命された。サルマン国王は6月、治安機関を長年率いてきたおいのムハンマド・ビン・ナエフ氏に代わり、息子のムハンマド・ビン・サルマン氏を皇太子に昇格させた。王族はこれを黙認し、皇太子は9月までに自身と対立する宗教家や知識人らを検挙している。

今回の拘束は、ムハンマド皇太子による改革推進を狙ったものだ。この改革は、1930年代に現サウジアラビア王国を樹立したアブドルアジーズ国王の治世以来最大のものになると約束されている。

サウジ国家は、王族のサウード家と同国発祥の厳格なイスラム主義を統制するワッハーブ派聖職者との長年の共存を基盤としてきた。

王家はサウジアラビア国民に快適な生活と豊富な石油収入の分け前を約束してきた。それと引き換えに、臣民たちは政治的に服従し、国家の厳格な宗教的、社会的な規範に従うことを約束した。

「イブン・サウード」の名でも知られるアブドルアジーズ初代サウジ国王は1953年に死去。それ以降も国王がこの国統治しており、その下には複数の王子たちがいるが、他の王子たちの希望に逆らってまで自らの意志を押し通すほどの力を持った王子はこれまでいなかった。

意志決定はもっぱらコンセンサス重視で行われた。こうした仕組みによって社会や政治面での改革は遅々として進まなかった一方で、王国の安定は保たれてきた。

だが、自身を新たな「イブン・サウード」と位置付けようとする動きのなかで、ムハンマド皇太子は、人口増大と石油価格低迷という重圧で揺らいでいたこの国の統治構造を破壊しつつある。


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