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スーフィズムに関するHP

2188チバQ:2017/11/17(金) 19:05:32


 財政難の一因であるイエメンへの軍事介入は、15年1月に国防相に就いたムハンマド皇太子(当時は副皇太子)が主導した。

 イエメンではこれに先立ち、クーデターによってシーア派武装勢力「フーシ派」が実権を掌握。フーシ派の背後には、域内での勢力伸長を図るシーア派大国イランがいる。スンニ派各国の盟主を自任するサウジにとっては、「裏庭」ともいえるイエメンにイランが影響力を持つことは看過できない事態だ。サウジのイエメン介入は、スンニ派とシーア派の覇権争いという側面がある。

 と同時に、当時から中東のメディアや外交筋の間でささやかれたのは、軍事介入によって、若く実績に乏しいムハンマド皇太子に“箔”をつける狙いがあるのではないか、との見方だった。初代国王が実力で周囲を黙らせたように、アラブでは力は権威と支配の源泉なのだ。


サウジのアブドルアジーズ初代国王(左)と、2代目を継ぐことになる息子のサウド=撮影日時不明(AP)

 ただ、2年以上が経つ今も介入策は十分な効果をあげておらず、サウジの出口戦略も見えてこない。泥沼化で戦費負担も増大している。

 一方で、若いムハンマド皇太子は国内の若年層から高い人気を保つとされるものの、高齢の父王が死去すれば、反対派からの反撃を受ける可能性も否定できない。

 今回、サルマン国王やムハンマド皇太子が、「反腐敗運動」の名の下で一気に宮廷内の粛清に乗り出したのは、こうした事情が絡み合う中での大勝負だったのではないか。



 現地からの報道などによると、今回摘発対象となった王子やビジネスマンらは、数日前にムハンマド皇太子主催の大規模な経済会議が開かれた高級ホテルで身柄を拘束されているという。同会議への参加者も多かったとみられる。

 このニュースに接し、思わず連想した故事がある。

 イスラム教の預言者ムハンマド(570年ごろ〜632年)の死から1世紀余りの紀元750年。イスラム最初の世襲王朝であるウマイヤ朝に反旗を翻したアッバス朝の創始者アブーアッバスは、「和解の宴」を開くと偽ってウマイヤ家の主立った者たちを一堂に集め、殺害した。ウマイヤ家側による反攻の芽を摘むためだった。この凄惨な事件のために、アブーアッバスは「サッファーフ(血を注ぐ者)」という二つ名で呼ばれることになる。

 アッバース朝はその後、とにもかくにも750年以上にわたって存続し、イスラム史上、最も繁栄した時代も築くことになったが、さて、権力集中を進めるサルマン国王とムハンマド皇太子の親子はどのような王権を築くのか。陰謀が渦巻くアラブの権力闘争である。
(外信部、前中東支局長 大内清)

サウジアラビアと王室 サウジの国名はアラビア語で「サウド家のアラビア」を意味する。初代国王アブドルアジーズには少なくとも36人の息子がいたが、中でも有力一族スデイリ家出身の妻との間に生まれた息子7人は「スデイリ・セブン」と呼ばれる有力閨閥を形成。スデイリ・セブンには第5代ファハドや、現在のサルマン国王、元皇太子のナエフ王子らが含まれる。サルマン国王の即位でスデイリ閥の優位は確立されたとはいえ、今後、国王が実子のムハンマド皇太子に王位を継承させれば、同閥内でも不満が高まる可能性がある。


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