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スーフィズムに関するHP
2186
:
チバQ
:2017/11/17(金) 19:04:43
http://www.sankei.com/world/news/171117/wor1711170001-n1.html
2017.11.17 17:00
【中東見聞録】
サウジで宮廷粛清が始まった 初代国王が危惧した権力闘争の行方は?
アラビア半島の大部分を支配し、1932年に現在のサウジアラビア王国をうち建てた初代国王、アブドルアジーズ(1875〜1953年)には生前、大きな気がかりがあった。自分の死後、息子たちが後継者の座をめぐって争い始めるのではないか-。
だが、安定的な後継システムを確立できないまま、アブドルアジーズは病を得てしまう。死の床で初代は、決して仲が良いとはいえなかった年長の2人の息子、サウド(1902〜69年)とファイサル(1906〜75)に手をつながせ、こう厳命した。
「私が死んだら、2人で協力していくと誓うのだ。もし意見を違えるときは、必ず私的な場で言い争うようにせよ。ゆめゆめ、争う姿を外の世界に見られてはならぬ」
アブドルアジーズの脳裏にあったのは、建国に向けて各地を駆け回っていた時代、自分も、父と5人の兄弟を排除して権力を掌握した記憶だったに違いない。アラブ世界では一般的に、息子たちが等しく相続権を持ち、必ずしも年長者が「家督」を継ぐとは限らない。アブドルアジーズが一族を束ねる権威を得るには、誰もが納得し、そして恐れるだけの力をみせる必要があったのだ。
王位継承権を持つ王子たちが反目し合えば、周囲を巻き込んだ熾烈な「お家騒動」に発展するのは目に見えている。特にアブドルアジーズには、国内統一のためにライバル部族などから迎えた妻が二十数人おり、この時点で存命する息子は30人以上もいた。権力闘争の種はすでにまかれていた。
ちなみに、第2代国王に就いたサウドが異母弟のファイサルと和解することなく、一時は内戦寸前といわれるほどに軍事緊張が高まった。浪費癖もあって国王として不適格とみなされたサウドは64年、国政に影響力を持つ宗教界の支持を固めたファイサルの宮廷クーデターによって王座を追われている。初代国王の“遺言”は、本人が期待したほどには機能しなかったことになる。
◇
そのサウジではいま、初代国王がさらに嘆くであろう権力闘争が進行している。
初代の息子の1人であるサルマン現国王。その実子であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子(32)=名前の頭文字からMbSと略されることが多い=がトップを務める「反腐敗委員会」が今月4日以降、王位継承権を持つ王子11人や閣僚、有力ビジネスマンらを含む少なくとも200人を汚職などの疑いで拘束したのだ。
拘束された中には、世界有数の大富豪で「アラブのウォーレン・バフェット」と称される王族投資家、ワリード・ビン・タラール王子も含まれる。皇太子とはいとこの間柄だ。
一連の動きがムハンマド皇太子の王位継承に向けた権力基盤固めを狙ってのものであることは間違いない。中国の習近平国家主席が「反腐敗」の名の下に政敵の粛清を進めているのと同じ構図だ。
サウジでは王族がビジネス界と政府の“橋渡し役”を務めることが多く、王族が地位を利用して甘い汁を吸うことも珍しくないとされる。同委員会は勅令により、汚職疑惑に絡む個人や団体などの捜査や逮捕、資産凍結など「必要なあらゆる手段を講じる権限を持つ」と規定されているから、皇太子は実質的に、国内の政敵に対する生殺与奪権を与えられたに等しい。
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