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スーフィズムに関するHP

2126チバQ:2017/10/11(水) 19:26:23
http://www.sankei.com/world/news/171010/wor1710100041-n1.html
2017.10.10 22:11

内戦下のシリア首都 戻った「日常」、変わらぬプロパガンダ体質
 内戦下の首都は一見、どこかの平和な国と変わらないようにみえた。シリア・ダマスカスの平日昼下がり、幹線道は渋滞し、学校が終わって談笑しながら帰宅する子供たちの姿があった。2011年3月の反政府デモへの弾圧から始まった内戦は今も続き、国土は荒廃した。にもかかわらず住民たちは、各地の戦火が外国のことであるかのように暮らしを営んでいた。

 隣国レバノンの首都ベイルートを早朝に車で出発して約2時間。レバノン側検問所を通過してシリア領内に入った。国境ではカラシニコフ自動小銃を提げたシリア兵が警備に当たる。

 そこから約50キロ。いくつかの検問を通ってダマスカス市街に入ると、軍服やスーツ姿のアサド大統領の顔写真が目についた。

 幹線道の両側には、古めかしい高層アパートが立ち並ぶ。道路は舗装が行き届き、日本車はもちろん、米国やイランの車も走る。中心部には砲弾の痕などもなく、無傷のように見えた。

 「悲惨な状況を想像していたろうが、ごく普通の暮らしぶりだろ。外国人はみなびっくりするよ」。シリア情報省が手配した車の運転手が誇らしげに言った。

 旧市街を歩き、住民らの声を聞いた。買い物にいそしむ人々からは「戦火のピークは過ぎた」という安心感がうかがえた。

 と同時に、市場にはいっそう多くのアサド氏の写真があふれている。ここが、あらゆる手段で国民の引き締めを図ってきたプロパガンダ(政治宣伝)の国であることに変わりはなかった。



 シリアの首都ダマスカスの旧市街にある市場は、ネックレスや指輪を品定めする女性たちでにぎわっていた。街はきれいに掃除されている。6年半を超す内戦で疲弊した住民らには「普通の暮らしが戻ってきた」との安堵(あんど)が漂う。

 「軍事衝突も収まり、活気が戻ってきた」。宝飾店を営むハッサン・ハッバプさん(61)が話した。

 ダマスカス中心部から東にわずか数キロの地区では、いまも反体制派と政府軍の戦闘が続いてはいる。「まだ危険だから」(シリア情報省)という理由で、現地取材は許されなかった。多くの人でにぎわう旧市街の中でも、あちこちで迷彩服姿の兵士が目を光らせる。

 住民たちが口をそろえて「最も危険だった年」と話す2013年には、街のすぐ東側まで反体制派が迫り、連日のように市街に向かって砲撃が行われた。

 「とにかく最悪だった。夕方になると人の姿が消えた。あのころに比べればとても安全になった」。そう話す装飾品店店員、ヘイサム・ザルアイさん(20)によると、当時に比べ、最近は売り上げが約4倍に増えたという。



 内戦の構図も大きく変わった。混乱の中でイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)が台頭。ISが「首都」と宣言した北部ラッカや油田がある東部デリゾールでは、米国が支援する少数民族クルド人などの部隊とISとの戦闘が続く。北西部イドリブでは、トルコの支援を受けた反体制派「自由シリア軍」が、イスラム過激派への大規模攻撃を始めている。

 アサド政権の支配するダマスカスがいま、ほぼ“無風状態”にあるのは、こうした情勢の変化が政権側に利したからでもある。

 街中での住民への取材や写真撮影の際には、同行する情報省当局者の許可を得るよう求められた。特に軍施設や兵士の撮影は厳禁だと言い渡された。外国メディアの報道に神経をとがらせている様子だ。

 「年末までには戦争は終わる。だから未来は明るい」。ザルアイさんの楽観的な言葉が本音か否かは、判断がつかなかった。(ダマスカス 佐藤貴生)


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