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スーフィズムに関するHP
1983
:
とはずがたり
:2017/06/11(日) 10:48:36
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1042778728/2348
>先ほどの話の通り、政府や石油会社は実情をなかなか明かさないので、枯渇リスクがあるかないかは判断できませんが、石油がもともと少ないのはオマーンです。サウジアラビアやクウェートに比べたら格段に少ないです。バーレーンは湾岸で最初に石油が出たところですが、現在ではもう枯渇状態でしょう。
バーレーン王国概況
http://www.jccme.or.jp/japanese/08/pdf/08-07-17-07.pdf
(イ)政体
ハリーファ家出身の国王を統治者とする立憲君主制(世襲君主制)により、安定的な国会運営が行われている。
71 年の独立後、73 年に選挙が行われ、国民議会が設置されたが、政府批判の場と化したこともあり、75 年に解散、廃止された。ハリーファ家を頂点とする指導者層がスンニー派であるのに対し国民の約 7 割をシーア派が占め、内政上難しい舵取りを要す。94 年 12 月、
シーア派宗教指導者(議会再開運動を実施)の逮捕を契機とし、民主化問題、失業問題等に不満を有する若年層を中心とした騒擾事件が発生した。政府は 95 年 6 月、20 年振りに内閣を改造し、シーア派とスンニー派の均衡をとるとともに、諮問評議会の権限を強化した。96 年 6 月に反政府グループの「政府転覆計画」を未然に防止し、同組織の幹部 44 名を逮捕した旨発表した。2004 年イラクのシーア派聖地に対する米軍攻撃等への抗議デモ集団が治安部隊と衝突し、流血事件に発展したが、事件発生日に内相を更迭し収拾した。
(ロ)ハマド国王の下の民主化政策
ハマド現国王は 99 年 3 月の首長就任以来、民主化政策を推進している。01 年 2 月に採択された「国民行動憲章(National Charter)」を具体化する形で、02 年 2 月 14 日憲法が改正された。体制を首長制から王制に変更し、国名をバーレーン王国(Kingdom of Bahrain)に変更するとともに、二院制議会の設立、男女の権利平等を規定した。議会は立法権を持ち、諮問院(定員 40 名。議員は国王の任命)、下院(定員 40 名。議員は普通選挙で選出)から成る(諮問評議会は議会の成立を受け廃止)。02 年 10 月に下院総選挙が実施され、同年 11 月には諮問院議員の任命が行われ、同 12 月には 27 年ぶりに議会が再開した。03 年10 月、ハマド国王は、国民融和の促進、憲法の基本理念強化と民主化の促進等からなる国家戦略ガイドラインを提示した。05 年 1 月の内閣改造により女性閣僚が 2 名(保健相、社会問題相)就任。06 年末、下院総選挙が行われ、40 議席中、シーア派政治団体が 17 議席を占めることとなった。08 年 11 月、情報省の名称変更と新大臣の任命が行われ、女性閣僚は 2 名(文化情報相・社会開発相)となった。
(2)経済
(イ)経済基本構造バーレーンは近隣湾岸諸国に比べ石油生産量が極めて?ない(3.4 万 B/D)ことから、いち早く石油生産依存体制の脱却を目指し、石油精製事業、アルミニウム精錬等、産業の多角化を推進している。また、80 年代にレバノンに代わって中東の金融センターとしての地位を確立したほか、サルマン皇太子の主導で 04 年から中東初のF1 グランプリを開催するなど観光産業の振興を図っている。
さらに、若年層の失業問題を緩和するため、外国企業の積極的な誘致を進め、国内産業規模の拡大、多角化を図っている。
しかし、域内流通の中心が既にドバイに移ったのに加え、金融部門についてもドバイの発展が著しいことから、かつての地位の維持が難しい状況になりつつある。
93 年、商業省の傘下に、外国企業及び投資の同国への誘致を主業務として、BPMB(BahrainPromotion and Marketing Board)が創設された。02 年 3 月、BPMB は組織変更され、皇太子府直轄の経済開発委員会(Economic Development Board)となった。同委員会は 05年 5 月に勅令により首相と協調の下、経済政策を中心的に担う権限が与えられた。さらに08 年 1 月には経済関係省庁以外の閣僚も EDB の役員に加えられ、EDB の権限は一層高まっている。
(ロ)主要産業
石油精製、アルミニウム精錬、金融、観光サービスが中心である。なお、石油・ガス部門の比重は漸減傾向にある。工業化推進による産業多角化、中東における金融センター化を一層推進し、産業投資誘致促進及び雇用機会の創出を目指している。
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