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スーフィズムに関するHP

1977チバQ:2017/06/08(木) 19:49:07
http://www.sankei.com/world/news/170605/wor1706050069-n1.html
2017.6.5 22:24
【パレスチナ占領半世紀(上)】
イスラエルとアラブ「6日戦争」 聖地めぐる対立今も「そんな奴とどうやったら平和に暮らせるというのだ」

「嘆きの壁が解放されたとの知らせを聞いたときには、子供のように泣いた。ユダヤ人は2000年もの間、取り戻そうと待ち続け、祈り続けてきたのだ」

 地中海に面するイスラエルの都市テルアビブで会ったイスラエル軍の元少佐、ヨシ・ランゴツキ(83)が大声で訴えた。嘆きの壁はエルサレム旧市街にあるユダヤ教徒の聖地だ。

 1967年の第3次中東戦争で、イスラエルはわずか6日間でアラブ軍を撃退し、ヨルダンが支配してきた旧市街やエルサレム東部を制圧した。予備役のランゴツキはこの戦争の直前に召集され、エルサレムの偵察部隊の司令官を務めた。

 開戦初日の6月5日午後3時。エルサレム東部に陣取ったヨルダン軍との戦闘命令が下り、約5時間にわたる熾烈(しれつ)な攻防戦の末、ヨルダン軍に壊滅的な打撃を与えて勝利した。ランゴツキは「歩兵部隊が合流し、対戦車砲を備えた装甲車などと奇襲する作戦が成功した」と振り返った。

 イスラエル軍兵士が旧市街の嘆きの壁に到達し、ランゴツキのように歓喜の涙を流したのは6月7日、開戦3日目のことだ。

   
■    ■

 第3次中東戦争はアラブ民族主義の雄、エジプト大統領ナセルが67年5月に、イスラエル南端の海の玄関口であるティラン海峡の封鎖を宣言したのが発端だ。

 軍事物資や石油の搬入を阻止されたイスラエルは6月5日早朝、エジプトの空軍基地を電撃的に空爆し、戦闘能力を壊滅させた。ヨルダン、シリアなど参戦したアラブ諸国を合わせると、戦闘機など400機を初日に破壊したという。

 パレスチナ人、ワセフ・エリカト(71)は、エルサレム北方のジェニン近郊でイスラエル軍と戦闘中、無線でこの知らせを聞いた。ヨルダン兵として従軍していた。

 「アラブ側は初日に8割以上の空軍力を失った。私たちは防空支援なしで戦わざるを得なかった。約48時間に及ぶ激しい戦闘で私の連隊でも10人が死亡した」

 参戦したアラブ諸国は10日までに停戦を受け入れ、戦闘は収束に向かう。「言いようのない悲しい気持ちになった。故郷が占領されたのだ」。ヨルダン軍少尉だったエリカトは、故郷であるエルサレムの村に戻ることを許されなかった。イスラエル政府の許可が出たのは、戦争から30年近くが過ぎた95年のことだ。


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