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スーフィズムに関するHP

1952チバQ:2017/06/04(日) 18:11:07
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017060400322&g=int
「エルサレムなしには生きられない」=翻弄され続けるパレスチナ人



第3次中東戦争時の様子について語るパレスチナ人のアイシャ・マスルヒさん=5月31日、エルサレム
 【エルサレム時事】ユダヤ、キリスト、イスラム3宗教の聖地エルサレム。イスラエルは1967年の第3次中東戦争でヨルダン支配下にあった旧市街を含む東エルサレムを併合し、東西統一エルサレムを首都と宣言した。イスラエルにとってはエルサレム「解放」だったが、パレスチナ人にとっては故郷の「剥奪」を意味し、多くの人々の人生を翻弄(ほんろう)することになった。
 「私の子供時代は美しかった。地域の皆が一つの家族のようだった」。モロッコにルーツを持つパレスチナ人アイシャ・マスルヒさん(71)は振り返った。
 67年当時、旧市街のユダヤ教の聖地「嘆きの壁」のすぐ西側には、マグレブ地区と呼ばれる北アフリカからパレスチナに移住したアラブ人の居住地区があった。しかし、イスラエルは「聖地奪還」の後、この地区を破壊し、ユダヤ人だけが住む地区を建設した。
 マスルヒさんはマグレブ地区で生まれ育ったが、戦争発生時は結婚してエルサレム郊外に住んでいた。「48年のイスラエル建国時の恐ろしい殺りくの記憶」があったため、夫や娘と共にヨルダンへ逃れた。
 同地区に残っていた母から聞いた話では、停戦翌日の6月11日、イスラエル軍が拡声器で同地区住民に退去を命令。1時間もしないうちに重機で次々と家を破壊していった。マスルヒさんの実家を含め3戸だけは破壊を免れたが、5年後にイスラエル軍が「軍事区域である」との理由で強制退去を命じた。
 両親らは東エルサレムのベイトハニーナに移住。マスルヒさん自身はヨルダンからモロッコに移ったが、夫が交通事故で死亡した。それを機に、75年エルサレムに戻った。4人の子供が独立した今、再び旧市街の一角に暮らす。窓の外にはイスラム教の聖地「アルアクサ・モスク」がそびえる。「エルサレムは私の魂。魚と水の関係のように、エルサレムなしには生きていけない」とマスルヒさんは強調する。
 戦後50年たっても苦悩は続いている。マスルヒさんは「最もつらいのは、占領されているという精神的痛み。二つ目は、エルサレムのユダヤ化によって、イスラエルがすべてを自分たちの歴史に変えてしまっていることだ」と語った。(2017/06/04-14:58) 関連ニュース


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