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スーフィズムに関するHP

1802チバQ:2017/01/09(月) 12:06:08
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/world/20170109-567-OYT1T50004.html
イランのラフサンジャニ元大統領、死去…82歳
02:41読売新聞

 【テヘラン=中西賢司】イランの国営テレビによると、イラン政界の重鎮として要職を歴任したハシェミ・ラフサンジャニ元大統領が8日、テヘランの病院で死去した。

 82歳だった。心臓発作で同日、病院に搬送されていた。

 初代最高指導者ホメイニ師の側近として1979年のイラン革命の中核を担った。89〜97年には大統領を務め、対外融和や女性の権利拡大などの現実路線を進めた。保守派から改革派まで幅広い支持を集め、昨年2月の最高指導者任免機関「専門家会議」選挙ではテヘラン選挙区でトップ当選した。2年前に核合意を実現させた保守穏健派のロハニ大統領の後ろ盾としても知られた。

http://news.goo.ne.jp/article/asahi/world/ASJDS62Z8JDSUHBI02D.html
イランのラフサンジャニ元大統領死去 現代政治体制確立
01:46朝日新聞

イランのラフサンジャニ元大統領死去 現代政治体制確立
イランのラフサンジャニ元大統領=14年7月、テヘラン、神田大介撮影
(朝日新聞)
 イランメディアによるとラフサンジャニ元大統領が8日、死去した。82歳だった。死因は不明だが、心臓の問題で同日、テヘラン市内の病院に緊急搬送されたと報じられた。1979年のイスラム革命を率いた故ホメイニ師の右腕として活躍、89年から97年までの2期8年、大統領を務めた。国教とするイスラム教シーア派の教えにこだわらない現実的な政策をとり、現代イランの政治体制を確立した。

 34年、イラン南東部バフラマン生まれ。早くからホメイニ師に師事し、革命後は内相、国会議長を歴任。イラン・イラク戦争(80〜88年)では軍の最高司令官代理を務めた。大統領としては戦争で疲弊した経済の復興を最優先に掲げ、自由経済を推進。欧米やアラブ諸国との融和を進め、禁止されていた音楽、映画など表現の自由や、女性の権利の拡大に力を入れた。

 一時は最高指導者ハメネイ師をもしのぐ権勢を誇ったが、05年に再出馬した大統領選でアフマディネジャド前大統領に「地位を使って蓄財している」と批判され敗北。09年の反体制デモを支持してハメネイ師の不興を買い、失脚した。

 だが、前大統領とハメネイ師の関係悪化で復権。13年の大統領選は立候補を許可されなかったが、ロハニ大統領の後見人となり、当選に導いた。融和外交や外資の積極導入など、ロハニ政権の主要政策に大きな影響を及ぼした。

 16年2月の選挙では、最高指導者の任免権を持つ機関、専門家会議にテヘラン選挙区からトップ当選。変わらぬ存在感を見せた。立法上の意見対立を調整する機関、公益評議会の議長も務めていた。(テヘラン=神田大介)


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