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スーフィズムに関するHP

1スーフィズムに関するHP開設:2004/01/19(月) 15:34
はじめまして。

日本に在住のトルコ人です。この度、イスラームとスーフィズム、そしてトルコの紹介に関するHPを開設することになりました。このHPを通じて皆様と交流し、世界平和に少しでも貢献させて頂ければと思います。お時間のあるとき是非訪問して下さい。お待ちしております。
宜しくお願い致します。

http://www.yoyogi-uehara.net

1679とはずがたり:2016/10/16(日) 18:38:22
2ちゃんにあった♪

【国際】チェチェンの国際会議、スンニ派盟主サウジを破門?「スーフィー」と「ワッハーブ派」、一律に捉えられない神学教義と暴力の関係c2ch.net

1 :ニカワ ★ 転載ダメc2ch.net:2016/09/30(金) 04:48:36.69 ID:CAP_USER9
グロズヌイで演説するチェチェン共和国の指導者ラムザン・カディロフ首長
http://si.wsj.net/public/resources/images/BN-PX924_XROADS_M_20160921160636.jpg

中東ではサウジアラビアが主導するイスラム教スンニ派とイランが主導するシーア派の政治紛争が、すでに宗教戦争に変わってしまった。いまやスンニ派内部の神学論争がこの地域に新たな政治的亀裂をつくり出している。その亀裂はロシア南部のチェチェン共和国で行われた、当初はあまり知られていなかった会議の結果として生じたものだ。

チェチェンの指導者ラムザン・カディロフ首長は、スンニ派の流れをくむ「スーフィー」の信奉者だ。この異端で神秘主義的なイスラム信仰の分派は、サウジが求める厳格なイスラム主義と長く対立している。サウジの主流派は、18世紀のイスラム法学者、ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブの教えに基づく厳格なイスラム主義(同じくスンニ派に属し「ワッハーブ派」と呼ばれる)を信奉する。

カディロフ氏はイスラム反政府勢力の元メンバーで、ロシアのプーチン大統領に極めて忠実な人物として知られていた。また、同氏は迷子になった猫を探すため、画像共有アプリ「インスタグラム」のアカウントを使って市民の協力を募ったこともある。少なくともチェチェン以外で、同氏がイスラム教の権威と見なされることはあまりない。

しかし、ロシアが昨年からイランと同盟を組むシリアに介入し、新たに中東への影響力を強めたのに刺激され、カディロフ氏は8月下旬にチェチェン共和国の首都グロズヌイで開いた会議に、イスラム世界で最も有名な指導者の一部を招き入れることに成功した。

■サウジが除外されたグロズヌイ会議

アラブ首長国連邦(UAE)のイスラム教財団が共催したこの会議には、エジプト・カイロにあるアズハル・モスクのイマーム(宗教指導者)、シシ・エジプト大統領のアドバイザーら、影響力のあるイエメンのイスラム法学者ハビブ・アリ・ジュフリ氏、シリアのムフティー(イスラム法官)などが出席した。会議の使命は誰がスンニ派イスラム教徒にふさわしいかを決めるのと同じくらい野心的なものだった。

会議にはサウジの主流派代表であるワッハーブ派だけでなく、スンニ派から派生して幅広く支持されているサラフィー主義者たちも招かれなかった。サラフィー主義は、預言者ムハンマドたちの時代の「純粋な」原理に復古することを主張する一派だ。(チェチェン当局はサラフィー主義を禁止しており、「誤った」服装を着たり、礼拝を行ったりする自国民を定期的に収監している)

グロズヌイ会議の決議で、スンニ派が伝統的な4つのイスラム法学派を引き継ぐ一派だと定義され、スーフィーの慣行が称賛されたのは驚くに値しない。一方でこれはワッハーブ派とサラフィー主義が蚊帳の外に置かれたことを示唆する。

■抗議噴出、サウジは「はめられた」?

グロズヌイ決議のニュースが中東に漏れ伝えられると、イスラム教最大の聖地を管理するサウジだけでなく、数百万人のサラフィー主義者を破門しようとするこの試みに対し、予想通り反発がわき起こった。

こうした反発は、特にイランがサウジの正統性を排除するため同様の神学理論を長く援用してきたことも原因となった。イランのザリフ外相は今月、米紙ニューヨーク・タイムズへの寄稿で、中東の危機を「ワッハーブ派とイスラム教主流派との争い」だと描写した。ザリフ氏は米国とイランの関係改善につながった核合意の立役者の一人だ。

1680とはずがたり:2016/10/16(日) 18:38:41
>>1679-1680

グロズヌイ会議から数週間のうちに、サウジでは多数の宗教指導者と一般市民がソーシャルメディア(SNS)で憤りを表明した。

サウジの首都リヤドにあるキング・サウード大学のサレ・アルカトラン教授(政治学)は、「一般レベルでサウジ国民は非常に憤慨し、この王国(サウジ)がロシア・スーフィー枢軸と米国・シーア派枢軸のわなにはめられたと考えている。(このため)彼らは怒りと不安をあらわにしているのだ」と話した。

グロズヌイ会議によって困惑させられたのはサウジとサラフィー主義者だけではなかった。どちらにも属さないムスリム同胞団も「深い悲しみ」を表明し、グロズヌイ会議が「世界中のイスラム教徒の間に不和を発生させた」と述べた。

シリア内戦の背景も、こうした抗議を部分的に後押しした。

米ワシントンにあるタハリール中東政策研究所のフェロー、ハッサン・ハッサン氏は、「それ(今回の会議)はサラフィー主義者対穏健派の問題とは見なされていない。(エジプトの)シシ大統領支持者とUAE国民の支持者が、ロシアがシリア市民を空爆している最中に同国を訪問したと考えられているのだ。それは後味の悪さを残し、彼らは反逆者、裏切り者と見なされている」と語った。

■一律に捉えられない神学教義と暴力の関係

中東で最も残虐なジハーディスト(聖戦主義者)組織――特に過激派組織「イスラム国」(IS)――の一部がサラフィー主義の中でも極端な教義に従い、アブドゥル・ワッハーブが発したファトワ(宗教令)の一部を信奉しているのは事実だ。ただ、ある神学教義に従うことが必ずしも政治的な急進主義、ましてや暴力に傾斜することだと捉えることはできない。サラフィー主義、スーフィー、シーア派は全て暴力組織を生み出し、地域の混乱に拍車をかけてきた。

サウジの宗教主流派である「ワッハーブ派」は王への服従を強調し、正当な統治者が宣言しない限りジハードに参加するのを禁止している。各地のサラフィー主義者の多くは、暴力は言うまでもなく、政治的な実行主義をも回避する「最も穏健な」流れに属している。

一方、スーフィーは常に精神的成長だけを追求してきたわけではない。欧州の植民地主義者に対する歴史上のジハードはスーフィーの指導部によって主導されることが多かったし、現在のスーフィー反抗組織にはイラクのナクシュバンディ教団軍が含まれている。当時、チェチェンでスーフィーの宗教指導者だったカディロフ氏の父は、1990年代にロシア軍に対して正式にジハードを宣言し、大規模な反乱部隊を個人で率いていた。

現在のチェチェンでは国家がイスラム教の順守を強制し、公共の建物内で女性はヒジャブ(頭を覆うスカーフ)着用を要求され、アルコール類の販売は違法とされている。

英エクセター大学で上級講師(中東政治・安全保障)を務めるオマル・アシュール氏は語る。「スーフィーを穏健に見せているのは、彼らが現状維持を支持することが多いからだ。ただ、スーフィーがサラフィー主義よりも穏健だという考えはばかげている。両者は共に退行的で反自由主義的、そしてある程度は反民主主義的なのだ」

By:YAROSLAV TROFIMOV

http://jp.wsj.com/articles/SB12281053434115554903104582336861633789988


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