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スーフィズムに関するHP

1666チバQ:2016/09/29(木) 00:09:06
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/sankei-wor1609280031.html
【評伝】ペレス前イスラエル大統領核開発で辣腕 穏健派に転向、左派退潮止められず
09月28日 18:14産経新聞

 イスラエルのシモン・ペレス前大統領が28日、93歳で死去した。イスラエル建国に携わった世代の一人だったが、晩年は政治的影響力を喪失。かつて主流だった左派路線の担い手だったペレス氏の足跡は、イスラエル政治における左派の退潮やネタニヤフ現政権にみられる右派・強硬路線の隆盛と軌を一にしている。

 ペレス氏は英国委任統治時代のパレスチナで、イスラエル国防軍の前身である民兵組織ハガナに入隊した。1948年のイスラエル建国後は、ベングリオン初代首相の下で軍備拡大や核開発に辣腕(らつわん)を振るい、59年にはベングリオン氏が率いる中道左派マパイ党から政界に転身。当初は対アラブ強硬派として知られたが、エジプトとの関係が好転した70年代後半を境に穏健派に転向している。

 イスラエルでは建国当初から、手厚い住宅補助や福祉などの社会主義的な政策を掲げるマパイ党や、後継政党の労働党が強い影響力を持った。ペレス氏はその中枢に身を置き続けた。

 しかし、2000年の第2次インティファーダ(対イスラエル抵抗運動)発生後は世論の硬化を背景に労働党が衰退し、対パレスチナでより強硬なリクードなど右派に取って代わられる。同時に新自由主義的な経済政策も進み、貧富の格差が拡大した。

 現在のイスラエルでは若者を中心に、リクード主導政権下で家賃の高騰が続いていることなどへの不満は大きい。ペレス氏は15年の総選挙で、中道左派連合を率いる労働党のヘルツォグ党首への支持を表明しているが、それは、同党が社会不満の受け皿となることで政権を奪還する好機とみてのことだったろう。

 だが同選挙では、安全保障上の「脅威」を強調し、労働党の対パレスチナ姿勢を弱腰だと批判するリクードが第一党の座を維持。ペレス氏が尽力したオスロ合意に基づくパレスチナとの「2国家共存」路線は実質的に破綻したままだ。「建国の父」の一人に数えられるペレス氏は、建国以来の“伝統”である左派勢力の退潮を止めることができないまま、不帰の客となった。(カイロ 大内清)


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