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スーフィズムに関するHP

1611チバQ:2016/08/21(日) 08:18:23
http://www.sankei.com/world/news/160819/wor1608190008-n1.html
2016.8.19 07:18
【同胞団はいま ヨルダンの混迷】
(下)変革思想の拡散恐れたサウジ


 ヨルダンのムスリム同胞団元トップ、アブドルマジード・ゾナイバートが昨年以降、組織の認可問題をめぐって公然と指導部批判を展開した。要因は、現トップ、ハンマーム・サイードとの確執にある。

 関係者によると、ゾナイバートは2012年、サイードらの圧力を受けて上院議員を辞任。背景には、政府・王室に敵対的な姿勢をとるサイードら主流派との路線対立があった。元トップとはいえ、すでに指導部から排除されていたゾナイバートは当時、組織内では「権力闘争の敗者」と受け止められていたという。

 一方、サイードは、ヨルダンの同胞団では初めてイスラム法学者としてトップに上り詰めた人物で、その一派は急速なイスラム化を志向する姿勢から「強硬派」「シャイフ(導師)派」などと呼ばれた。

 そんな指導部主流派にとり、認可を再取得し「合法組織」の道を歩むべきだとするゾナイバートら非主流派の主張は、当局に組織の内情をさらし、同胞団が築いた政治力や組織力を縮小させる愚行に他ならない。

 両派の和解を模索してきた重鎮、アブドルラティーフ・アラビヤートは「指導部が非妥協的な態度を取ったのは、ここ数年で自分たちの力を過信した面があるからだ」と語る。

現実を見ない指導部

 中東・北アフリカでは10年末から11年にかけて民衆デモが広がり、強権的な長期政権の崩壊が相次いだ。中東民主化の期待から「アラブの春」と呼ばれたこの現象の最大の受益者は、同胞団をはじめとするイスラム勢力だった。

 同胞団はエジプトやチュニジアの選挙で躍進し、内戦に陥ったシリアやリビアでも存在感を強めた。大規模な混乱は回避したヨルダンにおいてさえ、同胞団は政府への圧力を強め発言力を増した。究極的にはシャリーア(イスラム法)による統治を目指す同胞団は「わが世の春」を謳歌(おうか)し、各国で革命組織としての一面と権力への野心をあらわにし始めた。

 しかし、エジプトで13年夏、クーデターで同胞団のモルシー政権が崩壊し、様相は一変する。同国ではその後、クーデターを主導したアブドルファッターフ・シーシーが大統領に就いて同胞団への弾圧を強め、チュニジアの同胞団系政権も世俗派との妥協を余儀なくされて求心力を失った。

 同時に、同胞団の変革思想の拡散を恐れるサウジアラビアなどが各地の反同胞団機運を後押しする構図が広がり、その圧力を受けたヨルダンでも同胞団警戒論が高まった。

 そんな中でサイードら主流派は、15年春に大規模な集会を開催するなどしてあえて存在感を誇示し、認可問題でも拒絶を貫いた。イスラム運動に詳しいヨルダン人研究者、マルワン・シェハーダは「サイードら指導部は域内の現実を直視できていない」と話す。

分断進めば過激化も

 指導部もいたずらに強硬路線のみに固執しているわけではない。

 今年2月には、ヨルダンの同胞団はエジプト同胞団の「支部」だとする一文を内規から削除。これは、国内有数の政治勢力が国外組織の影響下にあることを警戒するヨルダン政府に向けた融和のポーズであると同時に、当局への抵抗手段としてテロさえ用いるエジプト同胞団と同一視されることを避けるためでもある。

 ただシェハーダは、分裂が続く限り「同胞団の衰退は止まらない」と予測する。ヨルダン当局がゾナイバート派に肩入れし指導部を追い込むのも、同胞団の分断を図る狙いからだ。

 半面、社会に不満を持つ層の受け皿でもあった同胞団の退潮は、「メンバーらの過激化を招く恐れもはらむ」(ヨルダン人政治学者、ハマーダ・ファラウナ)。

 組織存続のために「合法・縮小」路線を選ぶのか否か。イスラム運動全体への視線が厳しさを増す中、指導部は方向性を見失ったまま立ちすくんでいる。(アンマン 大内清)=敬称略


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