したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

スーフィズムに関するHP

1610チバQ:2016/08/21(日) 08:14:52
http://www.sankei.com/world/news/160818/wor1608180015-n1.html
2016.8.18 09:55
【同胞団はいま ヨルダンの混迷(上)】
「裏切り者」と除名の元トップが反旗 “古巣”を非合法に…「アラブの春」から5年、内紛激化
 広範な政治・社会運動を展開し、発祥の地エジプトからイスラム世界各地に根を張ったイスラム原理主義組織、ムスリム同胞団。同胞団が権力をうかがう好機となった「アラブの春」の混乱から5年。中東で吹き続ける同胞団への逆風を、王制国家ヨルダンで取材した。(アンマン 大内清)

 ヨルダンの同胞団で昨年以降、深刻な内紛が起きている。元トップのアブドルマジード・ゾナイバートの一派が、現トップのハンマーム・サイードが率いる指導部に反旗を翻し、自派こそが正統な同胞団だと主張しているのだ。

 直接の争点は、政府からの認可を再取得すべきか否か、という問題にある。

 ヨルダンの同胞団は、1940年代に設立され、53年に「慈善団体」として同国当局の認可を受けた。しかしその後は、活動範囲を政治や教育にも拡大させる半面、実態に合わせて認可を取得し直さないまま「実質的な最大野党」と呼ばれるまでに成長。法的立場のあいまいさは、実際の組織の規模や資金の流れを覆う格好の隠れみのともなった。

 指導部は今年2月、こうした問題点を是正することが組織の生き残りに不可欠だとするゾナイバート派を「裏切り者」(幹部のバディ・ラファイヤ)とみなし除名。これに対し同派は翌月、独自に政府から正式な認可を得て、古巣を「非合法」の立場に追いやった。

 法的立場を明確にし、あらゆる「秘密裏の活動」から決別すべきだ-。4月にゾナイバートが団員に自派への合流を呼び掛けた声明は、これまでの組織のあり方そのものへの痛烈な批判を含んでいる。

■当局側も指導部圧迫

 ゾナイバート派の動きと呼応するように、当局側の同胞団への締めつけも強まった。

 4月には治安部隊が首都アンマンにある本部ビルなど同胞団関連施設を包囲し一斉に閉鎖。もともとゾナイバートの造反に従ったメンバーは「数十人程度」(同胞団幹部)と小規模だったが、当局があからさまにゾナイバート派に肩入れし指導部への圧迫を強めたことで、組織には大きな動揺が広がった。

 すでに一線から退いた元トップのサーレム・ファラハートは「指導部が(認可問題を軽視することが)政府との大きな対立に発展すると考えなかったのは大きなミスだった」と語る。

■「全面対立は避ける」

 エジプト人教師、ハサン・バンナーが、同国東部イスマイリーヤで同胞団を設立したのは1928年。アラブ諸国ではその後、支部組織が相次いで誕生した。

 各組織は、社会の教化を通じて究極的にはイスラム教が支配的な世界を実現するという理想を共有しつつ、それぞれの国の政治状況に応じて独自の活動を展開した。

 その中でもヨルダンの同胞団は、歴史的に王室と比較的穏やかな関係を保ってきたといえる。王室は、ヨルダンで大きな影響力を持ったパレスチナ解放機構(PLO)や社会主義陣営に対抗する“駒”として同胞団を活用し、同胞団もそれを利用して活動の場を広げることに成功した。

 90年代に傘下政党「イスラム行動戦線」を結成し政治参加を本格化させて以降は、当局から同胞団への圧力が増した。それでも、「全面対立は避ける」(同胞団関係者)のが双方の長年の本音でもあった。

 元トップとして、こうした事情を熟知するはずのゾナイバートが当局からの介入と組織分裂を招く行動に出たのはなぜなのか。そこには、「アラブの春」以降の域内情勢の変化が大きく作用している。(敬称略)



【用語解説】ムスリム同胞団

 1928年にエジプトで設立された、社会・政治組織。個人▽家庭▽社会▽政府▽国家-と段階的にイスラム化を進め、世界でイスラム教の「指導的地位」を確立することを目的に掲げる。組織のトップは、母体のエジプトで「総指導者」、それ以外の国では「総監督者」と呼ばれ区別される。エジプトでは50〜60年代に政権と敵対し、70年代以降は政治参加路線をとった。「アラブの春」後の2012年に同胞団主導政権が誕生したが、翌年のクーデターで失脚した。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板