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スーフィズムに関するHP

1スーフィズムに関するHP開設:2004/01/19(月) 15:34
はじめまして。

日本に在住のトルコ人です。この度、イスラームとスーフィズム、そしてトルコの紹介に関するHPを開設することになりました。このHPを通じて皆様と交流し、世界平和に少しでも貢献させて頂ければと思います。お時間のあるとき是非訪問して下さい。お待ちしております。
宜しくお願い致します。

http://www.yoyogi-uehara.net

1424とはずがたり:2016/02/23(火) 19:35:43
>イランの場合は、1979年のイスラム革命以来30年以上が過ぎた「イスラム宗教者が国政を指導する体制」が、すでに国民の支持を失っているという前提を考えねばならない

>民衆と、革命防衛隊というかつてイスラム革命体制を支えた両輪は、それぞれが革命の理念である「法学者の統治」という束縛から逃れて、政治を主導しようとしている。それは民主国家か、軍事国家かというイランの岐路を示している。

中東ニュースの現場から川上泰徳
民主化か軍事化か、制裁解除後のイランの岐路
http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/01/post-7.php
2016年01月25日(月)15時58分

2月の議会選挙で改革派候補はほとんど立候補を認められず
 イランに対する制裁が解除された。これによってイランを抑えていた国際的な圧力が取り除かれる。私が注目するのは、制裁のもとで抑えこまれていた民主化の動きである。昨春、核協議の最終合意に達して以来、イランで改革を求める民主化勢力からは「制裁解除は民主化の追い風になる」という声が出ている。制裁による国際的な孤立のなかで、政府批判は欧米を利する行為として抑えられる空気ができていたが、それがなくなることへの期待である。

 2月26日には議会選挙が行われるが、これまでのところ、立候補資格を認定する監督者評議会は改革派の候補のほとんどの立候補を認めないという報道が現地から出ている。改革派から3000人が立候補登録して、認められたのは30人という情報さえ出ている。最高指導者のハメネイ師は選挙関係者との会合で、「イスラム共和制を信じ、その価値に賛同する者だけが議会に入ることを許されるべきであり、それに反対するものは議会に選出されるべきではない」と語ったと報じられている。

 この言葉から、ハメネイ師がいかに改革派を嫌い、恐れているかが分かる。しかし、イスラム体制に疑問を持ち、改革派を信じる声を議会から排除すれば、その声は街頭で上がることになるだろう。私は2009年に革命防衛隊とつながる保守強硬派のアフマディネジャド大統領が再選された選挙を取材したことがある。改革派候補のムサビ氏を支持する若者たちに民主化要求の動きが広がるのを目の当たりにした。ムサビ陣営のシンボルカラーとなった緑色の旗を付けた車やリボンを腕に着けた若者が通りに繰り出し、「緑の革命」とも呼ばれた。

 さらに2011年2月に「アラブの春」に呼応してデモが行われたが、ムサビ氏はデモを呼びかけたとしてそれ以来自宅軟禁となっている。制裁解除によって外圧が解ければ、国内で民主化と改革を求める動きが再燃することになりかねない。イランは年齢平均値が28歳で、アラブ世界と同じく、膨大な若者人口を抱える若い国である。若者たちが通りに繰り出し、それを抑えるために革命防衛隊が表に出てくれば、軍事独裁化が進む動きに向かうかもしれない。

 制裁解除だけで政治変動が起こるわけではないが、イランの場合は、1979年のイスラム革命以来30年以上が過ぎた「イスラム宗教者が国政を指導する体制」が、すでに国民の支持を失っているという前提を考えねばならない。そのために、改革を求める勢力を議会選挙から排除しなければならなくなって政治が空洞化しているのだ。この状況で、外圧の重石がとれた時、改革と民主化を求める動きが噴き出すのか、それを抑え込もうとする力によって強権と軍事化に動くのか。イランの革命体制を一身に背負ってきた76歳の高齢の最高指導者ハメネイ師の後継問題とも絡み、イランは重大な岐路にさしかかることになろう。

大統領選挙の番狂わせは"天の声"か
 イランの政治は1997年-2005年の改革派のハタミ政権▽2005年-2013年の保守強硬派のアフマディネジャド政権▽2013年に生まれた保守穏健派のロハニ政権――と、この20年の間に大きな振れ幅で揺れてきた。大統領選挙のたびに、予想もしない結果が出るというメディア泣かせの国柄でもある。私は2005年にアフマディネジャド大統領が当選した時の大統領宣誓式と、2009年の大統領選挙運動期間中にテヘランに入った。

 2005年の大統領選挙の時、アフマディネジャド氏は、テヘラン市議会の最大会派から任命されたテヘラン市長として2年間の経験しかなく、全国的には無名だった。大統領選挙の決選投票で元大統領のラフサンジャニ師を破るという、誰も予想しない番狂わせとなった。私は、テヘランで勝利の背景を知りたいと思った。当時は、アフマディネジャド氏はイスラム的な改革を唱えて、テヘラン市南部で公園開発などをし、貧しい人々の支持を集めたとされた。有力な宗教者であり、同時に手広くビジネスを行う大金持ちのラフサンジャニ師が普通の人々から嫌われたという解説もあった。

1425とはずがたり:2016/02/23(火) 19:36:16
 テヘランの中では貧しい市南部を歩いて人々の話を聞いた。ラフサンジャニ師を選挙で負かしたアフマディネジャド氏の人気が人々の間に広がっていることを実感できるだろうと思った。しかし、人々の話を聞いても、アフマディネジャド氏を支持する人々の熱気は感じられなかった。アフマディネジャド氏のポスターを建物の壁に張っている商店主さえも、熱心な支持者ということもなく、新大統領について「人物や政策についてはよく知らない」というあいまいな感想を語り、整備された公園の近くで地元の人々に話を聞いても、「私たちには公園で遊ぶような余裕はない。あれは金持ちのためだろう」という冷めた反応が出てくる始末だった。全く当てが外れた。

 選挙民の間にアフマディネジャド氏への支持が広がっていないとすれば、知名度でも影響力でも勝るラフサンジャニ師を破ったのは、民意ではなく、"天の声"だということになる。つまり、最高指導者のハメネイ師の意思と考えるしかなかった。イランでは民主的選挙が実施されているが、ハメネイ師が最高指導者として動かすことができる票があるという話を聞いた。師の直轄である革命防衛隊や、その下部組織でバシジと呼ばれる全国で組織化された民兵組織、さらには全国にネットワークを持つイスラム系の慈善団体などだ。選挙で番狂わせが起きたのも、ハメネイ師の元でそのような票が動いた結果だろうと推測した。

 2005年に改革派のハタミ師から保守強硬派のアフマディネジャド氏へと大きく転換した背景を考えるならば、改革派のハタミ師の登場で、多くの民主的な改革がなされたが、ハタミ師を支持する市民の間に、イスラム体制そのものを否定しようとする動きが出てきたために、ハメネイ師が改革派を抑えにかかったということだろう。

改革派も強硬派も、最高指導者ハメネイ師の「政治カード」
 さらに当時の政治状況だが、イランは2001年の米同時多発テロの後、ブッシュ大統領の演説でイラクや北朝鮮とともに「悪の枢軸」と名指しされ、2003年のイラク戦争で米軍がフセイン政権を打倒し、イラク駐留が始まっていた。「対テロ戦争」を掲げる米軍はわずか20日の戦争で、フセイン政権を打倒した。その次の標的は、シリアか、イランか、と世界は注目した。「イスラム革命への回帰」を唱え、革命防衛隊ともつながるアフマディネジャド大統領を立てることで、反米で国内の引き締めと国家防衛を優先する狙いがあったはずだ。

 このように考えれば、改革派のハタミ師も、保守強硬派のアフマディネジャド氏も、保守穏健派のロハニ師も、すべてハメネイ師がイスラム体制を維持するための政治的なカードである。しかし、現実の政治は常に最高指導者の意図からはみ出して動いていく。その最初が、1997年の大統領選挙で、保守派の本命と見られていたナーテクヌーリー国会議長が、改革派のハタミ師に破れたことだろう。ハタミ師は市民の熱狂的な支持に支えられ、地滑り的な勝利となった。ハメネイ師はハタミ師の改革路線を支持したが、改革に乗じてイスラム体制を否定しようとする動きが出てくると改革派に対して強硬な姿勢をとった。その結果、ハタミ政権の後には、全く逆のスタイルのアフマディネジャド政権が登場した。

 アフマディネジャド大統領は政権運営では、閣僚にずらりと革命防衛隊や関連する組織の司令官や幹部を並べた。当時48歳だったアフマディネジャド氏は、自分と同世代の40代半ばから50代前半の年代の幹部を選んだ。革命防衛隊政権だった。

 イランでは軍や省庁、警察など、政府機関はそれぞれ関連の企業を持ち、独自に事業を行っている。2009年にある建設関係者の話を聞いた時に、アフマディネジャド政権になってから、革命防衛隊系の建設会社が、政府発注の公共事業を請け負う例が増えてきたと話していた。アフマディネジャド大統領は選挙キャンペーンでも、4年の間に全国で橋や道路を整備するなど小規模な公共事業を10万件実施したと宣伝していた。

2009年選挙で、若者に広がった改革派候補を支持する動き
 2009年の大統領選では、ハタミ師やラフサンジャニ師が支援する改革派のムサビ候補を支持する動きが、若者の間で広がり、アフマディネジャド氏の再選を阻むような盛り上がりを見せた。この選挙では私は投票前にテヘランに取材に入った。1週間ほどの間に、テヘランでムサビ陣営のカラーである緑色を付ける車が増え、若者たちによるムサビ候補支持のデモが行われるようになった。目に見える形でムサビ支持が広がるのを目の当たりにした。

1426とはずがたり:2016/02/23(火) 19:36:33
 アフマディネジャド氏は1期目で、地方で公共事業をばらまき、民兵組織バシジなどを通じて支持を広げていた。ムサビ支持の動きは改革を求める都市部の特徴だとは思ったが、「政治は興味がない」と言っていた衣料品店の店員が、数日後に会うと手首に緑のリボンを巻いている、というようなことがあった。最初は「アフマディネジャド再選は動かない」と選挙に冷めていた市民の間に、政治変動の予感が広がっていた。

 投票率は85%まで上がったが、開票の結果、アフマディネジャド氏が64%、ムサビ氏は34%の大差で、アフマディネジャド氏の再選が決まった。これに対して、ムサビ陣営は開票の不正を主張し、ムサビ支持者による抗議デモが起き、治安部隊と衝突する騒乱状態になった。イラン革命以来の大規模なデモと言われた。選挙結果には私も疑問を持った。それほどの差がつくはずがなかったからである。

 アフマディネジャド政権は、選挙実施本部長も、警察長官も元革命防衛隊の幹部だった。2009年の選挙では、従来、警察が監督していた全国の投票所の3分の1が防衛隊の監督下に移管された。全国で30万人いるイスラム志願民兵「バシジ」も投票所に動員された。バシジは防衛隊の監督下にあり、普段は公務員などの本職を持ちながら、地域や職場ごとに組織されている。まさに防衛隊「丸抱え」の選挙であり、「選挙の不正」が問題になるはずもないのである。

 ハメネイ師はアフマディネジャド氏の再選を支持した。ハメネイ師は、ムサビ氏支持の動きがイスラム体制への批判となって、若者たちの間に目に見える形で広がったことに強い警戒感を持ったのだろう。しかし、この時にデモ隊に対して、治安部隊とバシジによってなりふり構わぬ暴力的な制圧が行われたことは、イラン社会の亀裂の深さと、イスラム体制の行き詰まりを露呈させる出来事となった。

民衆から離れ、支配階級となった聖職者
 2005年と2009年の大統領選挙に絡んでイランの政治状況を見て感じたのは、ハメネイ師は改革派と革命防衛隊の間で危うい綱渡りをしているということである。1979年のイラン革命から30年以上を経て、ハメネイ師が体現する革命原理「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」に、無理が来ているということだ。政府や行政機関でも、宗教者が責任ある地位についていることで実務やプロジェクトの障害になり、国民の間に反感が広がっていた。

 2009年にイスラム聖職者を風刺する「トカゲ」という映画をつくった映画監督カマル・タブリージ氏にインタビューをした。腕にトカゲの入れ墨をした泥棒が、刑務所に説教にきた聖職者の服を盗んで脱獄し、そのまま聖職者として活動するという設定。泥棒としての経験を織り込んだ説教が人々にありがたがられるなど聖職者を茶化し、イランでも話題になったが、劇場公開2週間で政府から上映禁止とされた。

 タブリージ監督は「かつて聖職者は人々と共にあり、人々の問題や要求に精通していた。人々が生きる上で、どうしたら正しい信仰を持ちながら、幸せに生きることができるかを示そうとしていた。ところが、いま聖職者は政府と共にあり、権力や金、事業などに関わることが多くなって、ごく普通の人々とは離れてしまった」と語った。もちろん、聖職者の立場を変化させたのはイラン革命だが、監督は「イラン革命では聖職者が人々と共にあり、人々の支持を得て、社会を変えるために動いた。それが革命につながった。ところが、いまは聖職者が人々から離れて支配階級をつくっている。それは革命の精神の対局にある」と、革命の変質を強調した。

 タブリージ監督がいう「革命の精神」とは、パーレビ王制の強権と抑圧に対して、「抑圧からの解放」を掲げた宗教者が民衆の支持を得たことで革命が成就したことである。革命は、軍のクーデターでも、イスラム宗教者が組織したイスラム革命組織による権力奪取でもなく、パーレビ王制の強権体制に対する民衆の怒りが爆発し、それが「イスラム法学者に統治された公正な社会」を唱えるホメイニ師の主張と連携した。イランではイスラム体制の下でも、「選挙は国民の神聖な義務」とされ、国民の支持が統治の重要な要素とみなされている。それがイラン革命の精神なのである。

民衆からも政権からも、宗教者の指導体制に対抗する動きが
 イラン革命が成就した後、革命体制を守るために、国軍の他に革命防衛隊が組織され、さらに民兵組織のバシジが創設された。革命防衛隊出身者を重用したアフマディネジャド大統領が再選をかけた2009年の大統領選挙で、ハメネイ師は不正の疑いがかけられた選挙結果を支持し、その後も、若者たちによる抗議デモが広がり、治安部隊による暴力的な弾圧となり、デモ隊に死者も出た。民衆の支持に支えられてきたイラン革命体制にとっては汚点であり、民衆との亀裂が広がったことは革命体制を危うくするものでもあった。

1427とはずがたり:2016/02/23(火) 19:36:51

 しかし、民意が宗教者の指導体制から離反するという動きは、1997年の大統領選挙で保守派のナーテクヌーリー国会議長が、大方の予想を破ってハタミ師に敗れた時に既に決定的となっていたのだ。選挙で民意を問えば、改革を唱えるハタミ師が国民の支持を得るということは、イランの革命体制が生き残るためには根本的な改革が必要となっているということであろう。今年2月26日に予定されている議会選挙では、改革派の立候補申請者のほとんどが監督者評議会によって立候補を拒否されたとの報道が出ている。ハメネイ師が代表する昔ながらのイスラム体制は、改革派の候補者を排除することによってしか維持できないということである。

 その一方で、ハメネイ師がハタミ政権の後に、改革派を抑えるために権力を任せたアフマディネジャド大統領が最高指導者のいいなりになったかと言えば、それも全く逆目に出た。アフマディネジャド政権こそ、政府で宗教者の役割を排除しようとし、ハメネイ師の指導体制に対抗する姿勢を見せた。第2期の後半には、大統領側近のマシャイ大統領府長官が「イスラムの時代は終わった」「宗教政治の時代は間もなく終わる」などと発言し、宗教界から強い批判を浴びた。アフマディネジャド大統領はそのマシャイ氏を第1副大統領に任命し、ハメネイ師からマシャイ氏の辞任を命じられた。大統領はマシャイ氏を擁護して、やっと1週間後に辞任を受け入れるなど、それまでのイランではありえない事態となった。

制裁解除で、国民、経済界の支持を得ようとするロハ二大統領
 民衆と、革命防衛隊というかつてイスラム革命体制を支えた両輪は、それぞれが革命の理念である「法学者の統治」という束縛から逃れて、政治を主導しようとしている。それは民主国家か、軍事国家かというイランの岐路を示している。どちらに進んでも、イスラム体制は否定されないとしても、宗教者が実質的に政治や行政を指導する体制は終わることになろう。

 その意味では、ハタミ政権とアフマディネジャド政権を経て登場した保守穏健派のロハニ政権は、改革派でもなく、革命防衛隊でもなく、ハメネイ師の意向を受けながらも、選挙で国民の支持を得ることができるという第3の選択肢となった。

 しかし、ロハニ大統領になっても、ムサビ氏の自宅軟禁が解かれることはなく、革命防衛隊や治安当局による改革派のジャーナリストの逮捕も続いている。ロハニ師は人権や言論の自由の問題では動かず、その代わりに国民の支持を得るために力をいれたのが、核協議での合意であり、その後の制裁解除ということだろう。それはハメネイ師の意向にも沿うものだ。ただし、2月の議会選挙で改革派候補のほとんどが立候補を認められないことについては「私の望むところではない」と語り、不快感を示したとされる。

 宗教者であるロハニ大統領としては、民衆の支持を得ている改革派と連携しつつ、経済界の支持を得て、民主主義の下で法学者の指導体制を存続させることが目標となるだろう。人権や表現の自由などの問題から距離を置いているのは、国内治安を担っている革命防衛隊との衝突を避けるためであろうが、革命防衛隊こそ政治的な敵だと意識しているだろう。

政治的な危機は「ハメネイ後」に訪れる
 イランを取り巻く中東の情勢を考えれば、問題はより明らかになる。イランはイラク戦争後に政治を主導することになったイラクのシーア派勢力の後ろ盾であり、「イスラム国」との戦いにも、シーア派民兵を支援するなど深く関わっている。さらにシリア内戦では、アサド政権を軍事支援し、レバノンのシーア派武装組織ヒズボラの地上部隊をシリアに介入させている。イラクやシリア、さらにヒズボラとの関わりなど、対外的な軍事工作を行っているのは革命防衛隊なのである。逆に言えば、イラクやシリアへの介入から、欧米や湾岸アラブ諸国など、対外的な状況が厳しくなれば、革命防衛隊は国内の引き締めを強めることになる。

 核協議で米欧と合意し、制裁解除が進めば、国内の引き締めは緩和される。ロハニ大統領は制裁解除に伴う対外経済関係の活性化を追い風として、国民、経済界、宗教界をまとめることができる。それは軍事・治安で支配を強める革命防衛隊に対抗する戦略ともなる。ただし、改革派への警戒心が強いハメネイ師は、ロハニ師を使って改革者との関係を修復し、民主化を進めて、民意を味方につけるという方向には動かない。そうなると、民主化要求デモが再燃しても、革命防衛隊や治安部隊を使って抑え込むという場当たり的な対応が続くことになるだろう。

1428とはずがたり:2016/02/23(火) 19:37:11
>>1424-1428
 イランにとって本当の危機は「ハメネイ後」に来るだろう。2月下旬に行われる議会選挙に合わせて、最高指導者を選任する専門家会議のメンバーの選挙もある。専門家会議の任期は8年だから次期専門家会議が、現在76歳で、健康問題を抱えるハメネイ師の後継者を選任する可能性は高い。

 ハメネイ師は1989年に最高指導者に就任し、すでに26年を過ぎた。もともと反米主義の保守強硬派だが、現実的なバランス感覚でイスラム体制を担ってきた。しかし、改革を拒否して国民の支持を得る改革派を選挙から排除し、民主化を抑え込むことによってしか、イスラム体制を維持できないという矛盾を抱え込んでいる。無理を重ねてきた最高指導者の交代によって政治が一気に流動化しかねない危うさをはらんでいる。


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