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スーフィズムに関するHP

1346とはずがたり:2016/01/04(月) 20:17:13
サウジを穏健派というのはアメリカ基準で余り穏当では無い様な気がするなぁ。。

サウジとイランの断絶がもつ意味と影響-中東をめぐるサウジの巻き返し
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mutsujishoji/20160104-00053101/
六辻彰二 | 国際政治学者
2016年1月4日 15時11分配信

1月3日、サウジアラビア政府はイランと外交関係を断絶することを発表しました。これはテヘランにある在イラン・サウジアラビア大使館とマシュハドにあるサウジアラビア領事館がそれぞれ群衆に襲撃され、放火されたことを受けてのものでした。この襲撃は、同月2日にサウジアラビア政府が、2011年に逮捕されていた国内のシーア派指導者ニムル・ニムル師の処刑を発表したことがきっかけで発生したものです。放火に関わった罪で44人が逮捕され、イランのロウハニ大統領も大使館襲撃を非難していますが、両国関係は悪化の一途をたどっています。

サウジアラビアとイランは、どちらも世界有数の産油国。さらに、サウジの絶対君主制に対してイランのイスラーム共和政と、政治体制は異なるものの、厳格なイスラーム国家という点で共通します。その一方で、両国はそれぞれ、スンニ派とシーア派の中心地です。二つの宗派の因縁は7世紀にまでさかのぼるもので、両者の反目はイスラーム世界の大きな対立軸であり続けてきました。

しかし、それが大きな背景であるにせよ、大使館の襲撃や国交断絶といった外交問題にまで発展した今回の出来事は、それだけでは説明できません。そこには、現在の中東情勢や外部なかでも米国との関係をめぐる、サウジアラビアとイランの角逐を見出すことができます。

中東情勢をめぐるサウジとイランの立ち位置
大前提として、現在の中東をめぐる、サウジとイランの立ち位置を整理しておきます。

中東をめぐっては、イスラーム圏諸国だけでなく、米国、ヨーロッパ諸国、ロシアといった外部の国、さらにイスラーム過激派が複雑な対立と協力の関係にあります。このなかでサウジとイランはほとんどのシーンで対立し続けてきましたが、現在ではシリア情勢をめぐって、その対立は抜き差しならないものになっています。

サウジは石油を国有化した1970年代以降、最大の顧客である米国と安全保障・経済の両面で、基本的には協力関係を維持してきました。イラクがクウェートを占領した湾岸戦争(1991)で米軍主導の多国籍軍に参加したことや、国内に米軍の駐留を認めたことは、その象徴です。

現代でも、シリア情勢や「イスラーム国」(IS)をめぐる対応で、サウジは欧米諸国とほぼ足並みを揃えています。シーア派の一派アラウィー派で政府の要職を固めるアサド政権に対して、サウジは欧米諸国やトルコとともにその退陣を求め、シリアやイラクでのIS空爆にも当初から参加しています。そのうえ、サウジを含むスンニ派の湾岸諸国は、シリア軍を攻撃するために、アルカイダ系を含むイスラーム過激派にすら資金協力を行ってきたといわれます。

これに対して、イランは1979年のイスラーム革命以来、米国と長く対立し続けてきました。その背景には、イスラーム革命で打倒された、世俗的なシャー(国王)による専制支配を、ソ連への防波堤として米国が支援していたことがありました。そして、イスラーム革命のさなか、テヘランの在イラン・米国大使館が群衆によって占拠されたことで両国の対立は決定的になり、米国はイランを「テロ支援国家」に指定し、経済制裁を敷いてきたのです。

それ以来、イランは「反米」で一致するソ連/ロシアと友好関係を築いてきました。シリア情勢をめぐってもロシアとともにアサド政権を支持し、独自にIS空爆を行っている他、シーア派民兵やレバノンのシーア派過激派組織ヒズボラなどをシリアに送り込んできました。アサド政権の処遇をめぐって、グローバルレベルでは米ロの対立が目立ちますが、イスラーム圏ではサウジとイランがお互いに譲れない関係にあるといえます。


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