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スーフィズムに関するHP

1244チバQ:2015/11/25(水) 23:27:04
http://www.sankei.com/world/news/151125/wor1511250066-n1.html
2015.11.25 20:59
【露戦闘機撃墜】
因縁の歴史、ロシアとトルコ 露の「南下政策」発端に続く対立

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24日、シリア北部のトルコ国境付近で、撃墜されたロシア軍機のものとみられるパラシュートの部品を持つ少数民族トルコ系トルクメン人武装勢力(ロイター)
 ロシアとトルコの近代史は、18〜19世紀に起きた「露土戦争」と呼ばれる一連の戦争に象徴される、対立の歴史でもあった。

 露土戦争の発端は、不凍港を求めて南方への勢力拡大を目指したロシアのピョートル大帝(1672〜1725年)による南下政策とされる。ピョートルは、クリミア半島の東側にあるアゾフ海から黒海への出口を求め、オスマン帝国と対立。ロシア初の海軍艦隊を編成し、オスマン帝国の要塞を陥落させたピョートルは“若き皇帝(ツァーリ)”として名をはせた。

 拡大政策を受け継いだ女帝エカテリーナ2世(1729〜96年)もオスマン帝国と戦い、黒海での艦隊建造権や、欧州とアジアを隔てるボスポラス、ダーダネルスの両海峡の通航権を獲得。両国の力関係はロシア優位が決定的になった。

 19世紀に入っても両国は繰り返し戦火を交えたが、1878年に結ばれたサン・ステファノ条約により、オスマン帝国はバルカン半島の大半の領土を喪失。第一次大戦でオスマン帝国は敗北し、分割された。

 第二次大戦では共にドイツと戦ったが、ロシアとトルコの緊張関係は続いた。

 トルコは1952年、ソ連と敵対する北大西洋条約機構(NATO)に加盟。60年代に旧ソ連がキューバにミサイル基地を建設して「キューバ危機」が起きた際、ロシアはその背景に、米国によるトルコなどへの中距離ミサイル配備があったと主張している。(モスクワ 黒川信雄)


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