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スーフィズムに関するHP

1136名無しさん:2015/10/25(日) 08:33:12
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151025-00055638-playboyz-pol
ヨルダンのキャンプで見たシリア難民の絶望「私たちは世界から無視され忘れられている」
週プレNEWS 10月25日(日)6時0分配信

内戦が泥沼化するシリアから大量の難民がヨーロッパへ押し寄せ、現在、欧州諸国ばかりでなく、遠く離れたアメリカや日本への受け入れも強く求められている。

隣国ヨルダンの難民キャンプに通うフォトジャーナリスト、安田菜津紀(なつき)氏が、避難生活の実情を報告する。

***

石畳が続く静かな路地裏、シルクロードの時代が蘇(よみがえ)ったかのような活気ある市場とパンの香り、「ようこそ!」と駆け寄って出迎えてくれた子供たち。

そんな穏やかな光景が、私の脳裏に浮かぶ最後のシリアの姿だ。2009年まで何度も通っていた、首都ダマスカス。あの時はまだ、ここが熾烈(しれつ)な戦火にのみ込まれることなど想像さえできなかった――。

2013年から訪れている、南側の隣国ヨルダン。ここにはすでに100万人を超える人々がシリアから避難してきているとされる。元々とは人口600万人ほどの小さな国だが、現在は国内で暮らす人々のうち、およそ7人に1人がシリア難民という状態が続いている。

地平線まで続く乾いた大地。雲ひとつない真っ青な空から、痛いほどの日差しが照りつける。シリアとの国境から約15㎞、ヨルダン北部の町、ザータリにある国内最大の難民キャンプでは、6万人を想定してつくられた敷地に8万人を超える人々がテントやプレハブでの暮らしを続けていた。一歩外に出れば、視界を覆うほどの砂埃(すなぼこり)が舞い、人々は顔をしかめる。





朝になると国連の配給テントの前に、ホブスと呼ばれるパンの袋を受け取ろうと人々が列を作る。ところが、ようやく手にしたそのパンを、テント脇の小路で即座に売りに出す親子がいた。

「突然家を焼け出されて、貯金を持ち出す暇もなかったんです」

4歳の息子を連れた父親、バーシルさんは深いため息をつく。

「ここでは自由に出入りすることも、外で働くことも許されていません。だからこうして自分たちの食べ物を削って、貯金のある人に売るんです。いつか帰れる日のために、少しでも現金が欲しい」

仕事を探すことさえできず、ただただ帰る日をあてもなく待ち続ける日々。まるで檻(おり)の中で暮らしているようだとバーシルさんは嘆く。そして、キャンプは中心地から離れるほどに生活環境が過酷になる。

「共同トイレはドアさえ取りつけられずに放置されたままだ。女性はとても使えずテントの横に穴を掘る。そこから汚水が道端に流れ出す。水を汲むためには重い容器を抱えて何往復もしなきゃいけない。40℃近い暑さのなか、水源まで何百mも。そんな環境でどうやって子供たちを育てていけっていうんだ?」



難民たちが身を寄せるのはキャンプだけではない。大型ショッピングモールが軒を連ねる、ヨルダンの首都アンマン。ビルの谷間にある小さな病院の一角が、シリア人のための病棟となっていた。傷つき運ばれてくる大人たちの中には、政府軍と闘い続ける兵士の姿も交じっている。

「ケガさえ治れば俺たち、何度でも闘いに戻ってやるよ」

若い兵士たちは口々にそう訴える。

「こっちでは毎日死んだように生きなければならないだろ? シリアに帰ったら死ぬのは一度だ」

労働が許されない状況で、工場などに紛れ込んで不法に仕事を得ようと試みる者もいる。しかし、そこでは「仕事をシリア人に奪われている」「おまえたちが国を汚している」と心ない言葉を投げかけられる。大量の難民流入に不満を持つヨルダンの人々がいることを、兵士たちは肌で感じてきたのだ。こうして「居場所」を得られない彼らの生きる選択肢は限られていく。


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