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スーフィズムに関するHP
1039
:
チバQ
:2015/08/25(火) 20:52:16
http://www.sankei.com/world/news/150820/wor1508200006-n1.html
2015.8.20 05:00
【イスラム国 続・テロリストたちの告白】
上 組織抜けても…終わらない「聖戦」
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(1/4ページ)
イスラム国に忠誠を誓ったものの、脱走してクルド治安当局に拘束されたムスリー容疑者=イラク北部クルド人自治区(大内清撮影)
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が昨年6月に「カリフ(預言者ムハンマドの後継者)制国家」を名乗ってから1年余り。産経新聞は7月、再びイラク北部クルド自治政府の許可を得て、拘束された戦闘員らに面会した。その証言などからイスラム国の実像を追う。(大内清 イラク北部クルド人自治区)
戦い続ける男
イラク北部サラヘディン県出身のイード・ムスリー(36)が、故郷の村のモスク(イスラム教礼拝所)でイスラム国への誓いの言葉を述べたのは、2014年9月15日のことだった。
「(最高指導者)アブーバクル・バグダーディに忠誠を誓い、試練の時も良き時も(その言葉に)耳を傾け従います」。銃の扱いを知っていたムスリーはすぐに戦闘部隊に配属された。近くの村に駐屯していたシーア派民兵に夜襲をかけた際には「(部隊が)20〜30人を殺す戦果を挙げた」という。
同県から西部アンバール県にかけては、フセイン旧政権時代に支配層を形成したスンニ派アラブ人が多い地域として知られる。ムスリーも、小さな農家の出ながら警察官の職を得てその恩恵に浴していた一人だ。
03年のイラク戦争で旧政権が崩壊後、同国では多くの武装組織が結成され、駐留米軍や政府機関に対する武装闘争を展開した。ムスリーは、警官でありながら路肩爆弾を仕掛けているところを見つかって拘束され、懲役7年の実刑判決を受けた。
そして出所後の14年夏、急速に支配地域を拡大したイスラム国の部隊が村に現れ、ムスリーは部族の有力者らとともに加入を決めた。「米国やシーア派が憎いと思っていた」ムスリーに、再びテロ活動に身を投じることへのためらいはなかった。
「裏切り」の決断
今年7月上旬、クルド人自治区内にある治安当局事務所で、ムスリーは背中を丸めながら面会室に現れた。はだけたシャツにサンダル履きといういでたちや、年齢相応にやや薄くなった頭髪。両手首にかけられた手錠がなければ、イラクではごく普通の中年男性にしか見えない。
自分の経歴を淡々と説明するムスリーに感情の起伏は見えにくい。だが一度、わずかに気持ちの揺れが感じられる場面があった。
ムスリーが逮捕されたのはインタビューの数日前、現在はクルド自治政府が実効支配するキルクーク市内の検問所でのことだった。同市に来たのは、「イスラム国にいるよりもいいと思ったから」だという。
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