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近現代史綜合スレ

1とはずがたり:2004/01/15(木) 18:45
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6515/zinbutu.htm
近代史の人物に関するデータベース

http://sound.jp/jyosyuu/gunkayougokaisetu.htm
軍歌用語解説

戦後政治史ファン倶楽部
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/7643/index.html

吸収したスレは>>2-6あたり。

634とはずがたり:2015/09/07(月) 03:03:43

東アジアの「最先進国」は韓国か?
「一君万民」で読みとく、日清戦争から大統領選挙まで
http://toyokeizai.net/articles/-/14480
與那覇 潤 :歴史学者

…しばしば「近くて遠い国」とも呼ばれるように、多くの日本人にとって、朝鮮史の知識は乏しい(おそらくは、逆もまたしかりだろうが)。

この問題について「意識の高い」人々のあいだでも、注目されるのは目下の従軍慰安婦問題のような、植民地化以降の話題に限られがちだ。そのことがかえって、韓国との歴史問題といえば「解決不可能なもの」、いつまでもそれに熱くなる韓国人は「理解できない人々」といった印象を、強くしているようにも思う。

昭和史を先取りした、併合以前の朝鮮王朝

しかし当たり前のことだが、朝鮮に植民地化される以前の歴史がないわけではない。むしろ、近現代でも互いに「国と国」の立場で対峙した時代を紐解く方が、「対等」の関係に近づくがゆえにこそ修復が困難をきわめる、今日の日韓関係への、ヒントを得られるかもしれない。

趙景達『近代朝鮮と日本』は、朝鮮民衆史の第一人者による併合「以前」の通史だ。平明な新書でありつつも専門研究を踏まえた筆致からは、時として私たちにも似た、朝鮮王朝下の人々の相貌さえ浮かび上がる。

併合以前の朝鮮王朝の特徴は、「民本主義」を「一君万民」の形式で実現しようとする、儒教的な政治文化にあった。

民本主義と聞くと、大正時代に吉野作造がデモクラシーにあてた訳語を連想するが、元来は西洋思想と関係はない。

『書経』の「民は惟れ邦の本(たみはこれくにのもと)」に由来し、民衆の生活を安んずることを政治の本義におく、儒教の統治理念だ。その担い手を、貴族や官僚といった中間搾取者を排して、衆庶の声に直接耳を傾けてくれる英明な君主に求めるのが「一君万民」の発想である。

日本の世界史教科書で習うと、頑迷な鎖国主義者にしかみえない大院君(執政1864〜73年)は、実はこの理念に最も忠実たらんとした君主であった。

既往の地方官の収奪を取り締まり、エリート階級たる両班(ヤンバン)の特権を削減する政治を行い、民衆からも熱狂的な支持を得ていた。その人気が、失脚以降の日朝関係史の画期にも関わっているという。

たとえば1882年の壬午軍乱は、大院君に代わった閔氏政権が中間搾取を復活させたという不満のもと、一部軍人が困窮民と合流しつつ、閔氏打倒を訴えて大院君を担ぎだすクーデターだった。いわば、貧農救済のために天皇親政を標榜して、「君側の奸」を殺害した昭和の五・一五、二・二六事件の先駆けである。

実際に大院君の一時復権を勝ち取った点では、後の青年将校よりも優越するが、その鎮圧にあたって強大な隣国(清国)の介入を招かざるをえなかった点に、島国日本と異なる朝鮮半島の悲劇があった。

日清戦争の契機となった甲午農民戦争(1894年)でも、大院君は自身の人気を利用し、密書を発して農民軍を抗日蜂起に導く脇役を演じる。「忠君愛国」ゆえにこれに応じた全?準の人となりは日本人にも感銘を与え、井上馨も助命運動を支援したという。

おおむね武士層限定だった幕末の「尊王攘夷」と異なり、実際に民衆を動員しえた点に、朝鮮の志士の力を見たのかもしれない。

一君万民という本来、天皇制の冠絶性を説くはずの国体論の用語が、田中正造の直訴が弾圧された明治日本よりも、国王への直訴が広く認められた朝鮮王朝の方に当てはまるとは、原武史『直訴と王権?朝鮮・日本の「一君万民」思想史』の指摘でもある。とすれば意外にも、植民地化「した」日本の方が、「された」朝鮮の伝統を追いかける形で、両国の近代史は展開したことになろう。

635とはずがたり:2015/09/07(月) 03:04:04
>>634-635
大統領制の政治は日本の未来の予兆か

それはひょっとすると、日韓の未来にも当てはまるのかもしれない。浅羽祐樹『したたかな韓国?朴槿恵時代の戦略を探る』が描く大統領選挙のダイナミクスには、ふとそんな思いを感じてしまう。

今日の韓国では与野党とも、党公認候補を決定するための予備選挙で、党員以外からの投票も受けつけるほか、世論調査での支持率まで票数に換算して組み込んでいるという。後者は世界に類例がないというが、まさしく現代版の「一君万民」であろう。

しかも本番の大統領選挙は全国を一選挙区とするシンプルな勝負で、相対的に一票でも多い方の勝ちだ。さらに直接議会に法案を出せるなど、当選後の権限も強い。

米国に比べても、民意を大統領一人に集約する度合いが高いわけだが、首相公選制や国民投票といった「直接民意を代表させる」体験への期待が高まる日本人が望む政治のあり方と、それは実のところ近似していないだろうか。

民主政下の「一君万民」はポピュリズムに堕すのか


木村幹『韓国現代史?大統領たちの栄光と蹉跌』(2008年、中公新書)
事実、木村幹『韓国現代史?大統領たちの栄光と蹉跌』は、前代の李明博(イミョンバク)氏が就任するまでの各大統領の人生から描く戦後史だが、民主化以降の描写は近年の日本と対照しても示唆が深い。

根深い地域ごとの党派対立を克服し、インターネットを駆使して特定の派閥によらない国民統合を模索したのは、前々代の盧武鉉(ノムヒョン)大統領。

自身の支持者で固めた新党で臨み、守旧派議員を放逐して圧勝した2004年の国会議員選挙は、小泉純一郎首相の郵政解散に一年以上先行する。

もっとも、その後の盧武鉉政権の急速な失墜を、木村氏は「改革」すれば必ず社会の進歩につながるという国民の期待と、政治の力で起こせる変化はすでに尽きていた同国の現実との、落差に求める。

そもそも一君万民とはポピュリズムの異名でもあり、大院君も民衆へのバラマキのツケとして悪貨鋳造によるインフレを招いたとは、趙氏の著書にも見える。過度な改革幻想や成長神話に基づく、民衆側の統治者への無批判な一体化を戒める上で、わが国にとっても益するところの多い挿話だろう。

むろん、史実の解釈は多様であっていい。しかしいたずらに自国の栄光を誇り、他国の失敗をあげつらう関係は虚しいだけだ。

これまでも、これからも多くの課題を共有する両国であればこそ、互いに相手の経験を鏡とするような、成熟した歴史の語りを持ちたいものである。

【初出:2013.6.8「週刊東洋経済(マンション時限爆弾)」】


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