したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

近現代史綜合スレ

634とはずがたり:2015/09/07(月) 03:03:43

東アジアの「最先進国」は韓国か?
「一君万民」で読みとく、日清戦争から大統領選挙まで
http://toyokeizai.net/articles/-/14480
與那覇 潤 :歴史学者

…しばしば「近くて遠い国」とも呼ばれるように、多くの日本人にとって、朝鮮史の知識は乏しい(おそらくは、逆もまたしかりだろうが)。

この問題について「意識の高い」人々のあいだでも、注目されるのは目下の従軍慰安婦問題のような、植民地化以降の話題に限られがちだ。そのことがかえって、韓国との歴史問題といえば「解決不可能なもの」、いつまでもそれに熱くなる韓国人は「理解できない人々」といった印象を、強くしているようにも思う。

昭和史を先取りした、併合以前の朝鮮王朝

しかし当たり前のことだが、朝鮮に植民地化される以前の歴史がないわけではない。むしろ、近現代でも互いに「国と国」の立場で対峙した時代を紐解く方が、「対等」の関係に近づくがゆえにこそ修復が困難をきわめる、今日の日韓関係への、ヒントを得られるかもしれない。

趙景達『近代朝鮮と日本』は、朝鮮民衆史の第一人者による併合「以前」の通史だ。平明な新書でありつつも専門研究を踏まえた筆致からは、時として私たちにも似た、朝鮮王朝下の人々の相貌さえ浮かび上がる。

併合以前の朝鮮王朝の特徴は、「民本主義」を「一君万民」の形式で実現しようとする、儒教的な政治文化にあった。

民本主義と聞くと、大正時代に吉野作造がデモクラシーにあてた訳語を連想するが、元来は西洋思想と関係はない。

『書経』の「民は惟れ邦の本(たみはこれくにのもと)」に由来し、民衆の生活を安んずることを政治の本義におく、儒教の統治理念だ。その担い手を、貴族や官僚といった中間搾取者を排して、衆庶の声に直接耳を傾けてくれる英明な君主に求めるのが「一君万民」の発想である。

日本の世界史教科書で習うと、頑迷な鎖国主義者にしかみえない大院君(執政1864〜73年)は、実はこの理念に最も忠実たらんとした君主であった。

既往の地方官の収奪を取り締まり、エリート階級たる両班(ヤンバン)の特権を削減する政治を行い、民衆からも熱狂的な支持を得ていた。その人気が、失脚以降の日朝関係史の画期にも関わっているという。

たとえば1882年の壬午軍乱は、大院君に代わった閔氏政権が中間搾取を復活させたという不満のもと、一部軍人が困窮民と合流しつつ、閔氏打倒を訴えて大院君を担ぎだすクーデターだった。いわば、貧農救済のために天皇親政を標榜して、「君側の奸」を殺害した昭和の五・一五、二・二六事件の先駆けである。

実際に大院君の一時復権を勝ち取った点では、後の青年将校よりも優越するが、その鎮圧にあたって強大な隣国(清国)の介入を招かざるをえなかった点に、島国日本と異なる朝鮮半島の悲劇があった。

日清戦争の契機となった甲午農民戦争(1894年)でも、大院君は自身の人気を利用し、密書を発して農民軍を抗日蜂起に導く脇役を演じる。「忠君愛国」ゆえにこれに応じた全?準の人となりは日本人にも感銘を与え、井上馨も助命運動を支援したという。

おおむね武士層限定だった幕末の「尊王攘夷」と異なり、実際に民衆を動員しえた点に、朝鮮の志士の力を見たのかもしれない。

一君万民という本来、天皇制の冠絶性を説くはずの国体論の用語が、田中正造の直訴が弾圧された明治日本よりも、国王への直訴が広く認められた朝鮮王朝の方に当てはまるとは、原武史『直訴と王権?朝鮮・日本の「一君万民」思想史』の指摘でもある。とすれば意外にも、植民地化「した」日本の方が、「された」朝鮮の伝統を追いかける形で、両国の近代史は展開したことになろう。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板