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2004年米国大統領選スレ

2227とはずがたり:2014/12/24(水) 09:30:06

 第1回首脳会議で採択された2005年を目標とする米州自由貿易地域(FTAA)創設のための貿易交渉は、その後2005年末までの発足を確認するところまで進んだものの、2001年の同時多発テロ後の共和党ブッシュ政権下で停滞、ベネズエラを中心とする反米・左派政権の台頭を許し、期限内の創設に失敗。05年の第4回会議では交渉再開の合意すらできない外交的敗北を米国は甘受した。

 ブッシュ政権の単独行動主義が中南米の左傾化と反米政権の誕生をもたらしたとの認識のもとに、中南米諸国との関係改善をねらったオバマ政権は、米州機構を軸にする多国間の協調主義に転換、発足直後の2009年には、1962年米州機構から社会主義キューバを除名した決議を撤回することに賛成している。だがキューバの米州機構への復帰には、米州民主憲章などの諸原則を受け容れることが必要で、キューバ政府は「米支配の道具」とみなす同機構への復帰を拒絶してきた。

弱まった米国の指導力

 オバマ大統領は就任直後のサミットで、未来志向での関係構築を訴え協調関係を回復しようとしたが、キューバ問題をめぐりベネズエラに指導されたALBA(ボリバル同盟)諸国との間で溝は深まり、2012年の第6回会議ではキューバの参加を求めるALBA諸国の大統領が米州サミットを欠席し、共同宣言すら出されなかった。キューバ参加問題は、同調する他の中南米諸国を巻き込み、次回パナマでのサミットまでの課題となった。冷戦の遺物をなくすべきとする中南米諸国と民主体制の原則に拘るアメリカとの溝は深く、アメリカ抜きで、キューバを含めて2011年に発足したラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)の動きもあり、米主導のサミットの存在意義が問われただけでなく、キューバ問題が、米州におけるアメリカの指導力全体を弱めてきたことは明らかであった(2012年4月23日付「米国の指導力の陰りを印象づけた米州サミット」参照)。

 次回開催国のパナマ政府は、サミットへキューバ政府を招待しており、アメリカ政府は判断を迫られていた。

 17日の大統領発表を受けて、ケリー国務長官は、米国のキューバ政策が、「キューバを孤立させるのではなく、実際アメリカを孤立させてきた」と率直に述べている。

関係正常化の前兆

 中南米との関係においてキューバ問題は、中南米諸国の団結とアメリカ政府の孤立を招き、ニカラグア運河の建設計画など中国の外交的膨張やロシアの進出を前に、少なくともアメリカの中南米政策の展開において外交政策の余地を狭める大きな障害となってきたことは明らかである。関係正常化に踏み出した背景には、この隘路を打開しようとする意図があったということだ。大統領声明は、まさにアメリカ政府が歴史的に求めてきた米州共同体への回帰の宣言とも言える。

 米州サミットを前にした観点から、オバマ大統領がキューバ政策の転換を行う余地のあることを示す記事を事前に掲載していたのは、12月6日付の英誌「エコノミスト」である(Bello: "The Cuban question" 【リンク】)。その根拠として、①アメリカ国民に経済制裁の支持が低下していること(アトランティク評議会の今年の世論調査で56%が関係改善を支持、キューバ系移民が集中するフロリダでも60%以上が支持)②キューバにおける経済改革の進展③キューバ問題が中南米諸国を団結させる重要な要素となっている点を挙げていた。

チャベス死去の衝撃

 キューバ政策の転換は、キューバにとっては対米政策における大転換である。経済の統制や貧困、人権の抑制を正当化できたのは、アメリカの敵視政策であり経済制裁であったからである。半世紀以上の外交の根幹を覆すこととなる。

 その点では、まず21世紀になり体制維持の後ろ盾となってきたベネズエラのチャベス大統領の死去が大きいだろう。チャベス存命中は、はたしてキューバ政府はアメリカ政府との正常化交渉に踏み出せただろうか。反米の旗のもとキューバと同盟関係を築き、日量10万バーレルの石油の供給を通じで社会主義体制を支えてきたチャベス政権との関係が重要であろう。


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