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2004年米国大統領選スレ

1036チバQ:2012/02/16(木) 12:09:06
http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2012/02/16/20120216ddm007030158000c.html
米大統領選:共和党候補争い ロムニー氏「ルーツ」メキシコに モルモン教徒迫害で曽祖父移住
 米大統領選(11月6日)の共和党指名候補争いで先頭を走るミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事(64)はメキシコにもルーツを持っている。かつて一夫多妻制を容認していた末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)への迫害から逃れるため、信徒の曽祖父が19世紀後半に米国からメキシコに移住したのだ。父親がメキシコ生まれのロムニー氏は米国最大のマイノリティーであるヒスパニック(中南米系米国人)の支持を得ようと、メキシコとのつながりを強調する。メキシコ北部チワワ州に残るモルモン教徒の開拓村にロムニー氏の親族を訪ねた。【ヌエボカサスグランデス(メキシコ北部)で國枝すみれ】

 米国とメキシコの国境から約100キロ南下すると国境の町ヌエボカサスグランデスが姿を現す。町を後にして南西に約30キロ行くと、約1000人のモルモン教徒が暮らすフアレス村にたどり着く。モルモン教の神殿が建ち、白人の住民は英語を話す。一瞬、米国に紛れ込んだような錯覚に陥る。

 村は1885年にロムニー氏の曽祖父マイルス・P・ロムニー氏ら米国のモルモン教徒が開拓した。米国では1880年代、モルモン教徒の一夫多妻制容認への反発が強まり、逮捕者も出た。一方、メキシコ政府は北部の荒れ地を開拓する移民を欲し、高い農業技術を持つモルモン教徒の受け入れに積極的だった。メキシコに逃れたモルモン教徒はフアレス村で牛を飼い、リンゴやモモの木を植えた。

 マイルス氏は5人の妻を持ち、30人の子どもがいたという。そのうちの一人がロムニー氏の祖父のガスケル氏だ。農地改革要求を掲げる自由主義者によるメキシコ革命が1910年に起きたため、ガスケル氏は12年、後にミシガン州知事となる息子のジョージ氏(ロムニー氏の父親)らを連れて米国に渡った。そしてロムニー氏はミシガン州デトロイトで生を受けた。

 一方、ガスケル氏の兄マイルス・A・ロムニー氏は革命後間もなくメキシコに戻った。フアレス村に暮らすロムニー氏の親族17家族は彼の子孫だ。「モルモン教徒とメキシコ人の交流はほとんどないから、摩擦もない」とヌエボカサスグランデス日刊紙エルデアリオのグスタボ・バルデス編集長(44)。村民の多くは米国籍を持っており、米大統領選で投票することができる。

 ◇先細る村「希望」託し
 ロムニー氏のはとこのケリー・ロムニー氏(69)は「ミットを応援している。メキシコ不法移民に厳しいのは不満だが、いい大統領になる」と太鼓判を押す。夫がはとこのバージニア・ロムニーさん(64)も「わくわくしている。私はミットと誕生日が一緒なの」と、一族からの米大統領候補誕生に期待を寄せる。

 モルモン教会は1890年に一夫多妻制の容認を廃止し、1998年に多妻結婚者を破門にする公式見解を発表した。それ以降、フアレス村でも多妻結婚は行われていない。だが、米大統領選に絡めて一夫多妻制の話を取り上げる米メディアは後を絶たず、バージニアさんは「(ロムニー氏の)あら探しに来るメディアには話をしたくない」という。

 モルモン教徒は酒もコーヒーも飲まないのでフアレス村には酒場も喫茶店もない。村民は「子どもを育てるのに良い場所」と口をそろえる。だが、メキシコ北部では麻薬犯罪組織による誘拐や犯罪が多発。モルモン教の学校で小中高と英語教育を受けた子どもたちは米国の大学に進学後、米国に住み続ける者が多く、村の人口は減少傾向にある。将来に先細り感が漂う中、住民は会ったことのないロムニー氏に希望を託しているように見える。

毎日新聞 2012年2月16日 東京朝刊


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