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化学・薬品産業総合スレッド

1750荷主研究者:2016/11/12(土) 18:47:01

http://www.kagakukogyonippo.com/headline/2016/10/18-26632.html
2016年10月18日 化学工業日報
【戦後70年 激動の化学】 リーダーの証言 / ダイセル 小川大介相談役 《下》

 1999年6月、社長に就任した小川大介氏の前途は多難だった。99年3月期の売上高は2年連続で減収となり、純利益は何とか水面上に顔を出す状態だった。「何しろ負の遺産が多かった。やむなく役員賞与を全額カットしたが、気付いたら5年間も払っていなかった。年上の役員さんたちには悪いことをした」。

 社員一丸となって高収益企業を目指す意識改革が必要だった。「優秀な人が多いのに、社内に覇気がない。会社の雰囲気を変えたかった」。持ち前の「自然体」で社員に思いをぶつけた。「社内に向け3つのことを言った。その中の一つにキチンと挨拶をしよう、というのがあった。おそらく社員は、今度の社長は何つまらないことを言っているんだと思ったに違いない」。しかし、お互いに挨拶もしない関係で会社が一体化するはずはなかった。「組合にもズケズケとモノを言ったし、会議でも思ったことをどんどん発言するよう求めた。そうして少しずつ、社員の意識も変わっていった」。

長期計画

 社長に就任したその夏に、長期経営計画を発表した。「選択と集中」をキーワードに既存事業の見直しや新規事業の育成、グループ各社の再編を進める内容だった。足元で2%だった総資産利益率(ROA)を最終年度の2009年度までに10%に引き上げる意欲的な目標を掲げた。「事業を4つのカテゴリーに分類し、コアから外れた事業の再編を進めた」。

 3つのイノベーションを進める方針も示した。「基盤事業では生産革新によるプロセスのイノベーションを、注力事業では高付加価値の商材開発、つまりプロダクトのイノベーションを行った。全社的には、硬直的だった人事制度を刷新するなどマネジメントのイノベーションを実施した」。

 コアから外れた合成樹脂関連は「01年に樹脂事業をダイセルポリマーとして、樹脂製品事業をダイセルパックシステムズとして分社化した」。04年には包装フィルム事業も分社化。さらに樹脂加工事業のグループ会社については08年、大日本プラスチックスをタキロンに、三国プラスチックスをアロン化成にそれぞれ譲渡した。

注力事業の拡大

 拡大を目指す注力事業のうち、まず経営資源を集中させたのが自動車エアバッグ用のインフレータ(ガス発生装置)だった。「98パイロ(98年製パイロ型インフレータ)という画期的な製品を開発してくれて、これが当時としては小型軽量で性能が良かった」。日本化学会の化学技術賞など数々の賞を受賞した98パイロは、クリーンなガスを発生する新規火薬を使用したインフレータだった。世界がしのぎを削る開発競争を制し、技術で最先端に踊り出た。「巨額の投資が必要なバルクケミカル製品と比べ、インフレータは投資効率の高い事業だった。グローバルに展開しようとなった」。00年に米国に初の海外拠点を設置すると、02年にはタイに、さらに04年にはポーランドと中国にも拠点を開設した。「当社としてはめずらしく、すごいスピードで拡大を進めた」。

 このため人材確保に苦労した。「もともと化学の会社だから、いわゆる組み立て加工の人間はあまりいない。最初は社内の設備技術部門、計装部門、エンジニアリング関係から人材を集めた。その後、外部からもどんどん人を入れたが、欧州と中国をほとんど同時期にやったときは大変だった。みんなに協力してもらったというか、あまり遠慮せず他部署から人を調達させてもらった。ときには取っ組み合いが起きたりした」。一挙に全世界での供給網を整備し、世界有数の地位をつかんだ。


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