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化学・薬品産業総合スレッド

1749荷主研究者:2016/11/12(土) 18:46:10
>>1748-1749 続き

ダイセル式生産革新

 小川氏が経営企画担当として手掛けた仕事に次世代化学工場構築プロジェクト(後の生産革新プロジェクト)がある。ダイセル式生産革新は今や、21世紀型のモノづくりイノベーションとしてその名を轟かせている。しかし、用役、原料、製品などのパイプラインが複雑に絡み合う化学工場で、生産性を革命的に改善することは想像をはるかに超える大仕事だった。若手の技術者が中心となり、主力の網干工場で実施するそのプロジェクトは、「社内に摩擦を引き起こした」が、これを支持し若手を支援したのが経営企画時代の小川氏だった。

 「最終的に決断した児島社長は立派だったが、役員の間でも意見が分かれていた。結構な投資も必要だった。それでもプロジェクトを発案し推進した小河義美さん(現取締役常務執行役員)など若手は、このプロジェクトに相当な覚悟を持っていた」。人生を賭けて会社を改革したいと訴える社員の覚悟を、小川氏の感性は見逃さなかった。「彼らの目の光を見たら、わかるじゃないですか。逆にこれができなかったら、優秀な人材が会社を辞めてしまうという危機感を持った」。

 「まずは、簡単で泥くさいことから始めた」というそのプロジェクトは、後にグローバル競争を打ち勝つ強靭な生産現場をダイセルにもたらしたばかりか、社内の意識変革に大きな力を発揮したという。「初めはみな、お手並み拝見とばかりに冷ややかに見ていた。しかし、実際に生産革新を進めるとトラブルが減ってくる。現場の負荷が減り安全性も高まる。それを見て、われわれもやるか、応援しようかという人達が少しずつ増えていった。当社の意識改革を促す大きな契機となった」。

負の遺産

 経営企画担当常務としてのメインの仕事は、2000年度からスタートする10年間の長期経営計画作りだった。小川氏は、ダイセルの将来に危機感を持つ30代、40代の若手を長期計画作りに参画させ、合宿を重ねながらダイセルの未来の姿を描いていった。PS事業は再編に漕ぎ着けたとはいえ、ダイセルはそれ以外にも「負の遺産に苦しんでいた」。食品添加物事業では、米国向け輸出で内外の大手メーカーが関連するカルテルの嫌疑がかけられた。ライフサイエンス事業では、「大きく期待していた製薬会社の大型新薬向けの原体事業がとん挫した。上市までされたのに副作用問題で、それまでの投資がフイになった」。

 こうしたさなかに児島社長に呼び出された。後任社長を託されたのだ。取締役に昇格してからまだ3年。55歳だった。


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