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化学・薬品産業総合スレッド
1578
:
荷主研究者
:2015/12/12(土) 23:18:53
>>1577
続き
▼汎用樹脂事業の再編
大橋氏は、汎用樹脂事業においても、業界の常識を覆す大胆な構造改善を実施した。スカイアルミニウムから昭和電工へ異例の再採用をされた大橋氏は、アルミニウム製錬事業末期、本体から切り離された昭和軽金属の営業を経て、1981年に本社の石油化学部門に異動した。高度経済成長の終焉とオイルショックを背景に、石油化学は政府から構造不況業種に指定され、縮小均衡の嵐が起きた。しかし「私がアルミから石油化学に移ったときの人達は皆、過去の栄光から脱しきれないでいた。飲めや歌えを続けている感じだった」。最盛期に石油化学を担当していない大橋氏には、そうした業界の体質に大きな違和感があった。
その石油化学は、90年のバブル崩壊を経て、再び再編期に突入した。中心事業であるポリオレフィンは、各社が事業を本体から切り離し、専業の合弁会社を設立するかたちで再編が進展した。先行したのは昭和電工だった。94年に旭化成とポリプロピレン(PP)の合弁会社日本ポリプロを設立する一方、ポリスチレン(PS)事業の営業権を旭化成に譲渡したのだ。この動きは事実上、昭和電工と旭化成によるPPとPSの事業交換であった。
続く95年には昭和電工65%、日本石油化学(現JXエネルギー)35%出資のポリオレフィン合弁会社「日本ポリオレフィン」を設立した。「業界再編の先鞭をつけることができた」と語る大橋氏は93年まで取締役総合企画部長として、93年以降は石化事業担当の常務、その後は専務として一連の再編劇を指揮した。大橋氏の思い切った選択と集中の決断は業界に伝播。各社が汎用樹脂事業で合弁設立に動いた。社長に就任した大橋氏はさらに、2000年代に入りポリエチレンはHD事業を譲り受けた三菱化学に、PPは外資のモンテル(現ライオンデル・バセル)に主導権を渡す再編を決断する。
「若い頃から折半出資の合弁会社を見てきた。そのなかでマジョリティを握る者のいない合弁事業ではダメだという信念を持った。事業を売るなら任せる。買うなら主導権を取る。合弁なら、どちらが最終的に経営責任を持つか決めることが重要だ」。
▼遠くを見て今を決める
危機を脱した昭和電工は03年から、チータ・プロジェクトの後編として個性派化学の確立を進めつつ、成長路線への転換を目指す新たな中期経営計画「プロジェクト・スプラウト」をスタートさせた。そして次期社長に新たな経営計画の策定を任せるため、進行中の計画を1年残した04年11月に高橋恭平氏への社長交代を発表した。その後、大橋氏は05年1月に会長、10年に相談役、14年に最高顧問となった。経営の一線からは退いたが、日本の化学産業への思いは現役時代と変わらない。
「経営者は、遠く未来をみつめること。遠くを見ながら、そのために今、すべきことを考え実行する。それが大事だ」と語る。しかし「最近は長くても四半期、極端にいえば毎月、パフォーマンスを市場から監視されている。このため経営者が萎縮して、短期思考でしかモノを考えられない傾向がある」と危惧する。
そのうえで今の日本の化学企業には、さらなる大胆な合併や事業交換といった経営のダイナミズムが必要だと語る。「欧米勢に規模で劣る日本の化学メーカーは、研究開発に投入する経営資源に限界がある。これを乗り越えるのは大変な苦労だ。10年後を考えれば、さらなる統合再編が絶対に必要だ」。現役ではないから言えるけれど、と付け加えるが、その眼光は今も鋭い。
(毎週、御一方ずつ掲載予定)
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