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化学・薬品産業総合スレッド

1574荷主研究者:2015/12/12(土) 23:01:20
>>1573 続き

▼事業構造転換

 社長となり再建を託された田中氏にとって、短期の課題は「事業の黒字化に加え、落ち込んだ社内の雰囲気を活性化させることだった」。このため、初年度の09年度に社長で40%の減額を始めとして、役員以下の報酬減額、製造合理化などで合計300億円の緊急コスト削減対策をまとめる一方で、社内では「マーケティング強化」、「野武士たれ」と発破をかけ、モチベーションの向上を図った。

 中期の課題は、「市況変動に左右されやすい汎用石化事業から脱し、高付加価値で成長が見込める事業に経営資源をシフトすること」だった。緊急対策により、2010年度に業績のV字回復を果たすと、11年度から「事業ポートフォリオの変革と経営のグローバル化」を推進する3カ年の中計計画をスタートさせ「本格的に、新領域に経営資源をかけ始めた」。

 石化系では国内エチレンセンターのLLP(有限事業責任組合)設立など出光興産との連携を強化する一方、「海外ではPPコンパウンドで次々に投資した」。基礎化学では、3大赤字事業と呼ばれたフェノール系、ウレタン系、PTAの事業再構築を進め、PTAのインドネシアからの撤退、フェノールの内外でのダウンサイジング、ウレタンは鹿島工場の閉鎖などを決断した。

 高付加価値の領域として、ヘルスケア分野ではメガネレンズモノマーでアコモンの買収など世界トップの座を強化し、不織布事業ではタイ・中国等内外の新増設を実施した。そして13年には独ヘレウス社から歯科材料事業を600億で買収した。「事業構造転換は途上だが、全体の流れを変えていくんだという姿勢を、皆が理解したと思う」。

▼忘れられぬ経験

 14年3月、後任社長に淡輪敏専務を指名すると、会長に就かず相談役となった田中氏。社長時代を振り返り「辛かったのは、事故で社員を亡くしたこと」。12年4月22日に岩国大竹工場でレゾルシン設備が爆発火災事故を起こした。「亡くなった社員の両親に、人生で初めて土下座したが、それでも22歳の前途ある若者の命は戻らない」と唇を噛む。

 この頃、化学業界では大規模な爆発事故が連続して発生した。このため、石油化学工業協会を中心に、学識経験者も交えて徹底的に安全対策に取り組んだ。「大変な迷惑をかけたが、この対策は今後の教訓として活かしてもらえると思う」。

 「それと、もう一つ辛かったのは、鹿島工場の閉鎖だ」。ウレタン事業などの再構築のため実施したが、さまざまなステークホールダーから苦言を受けた。しかし「決断して良かったと思う」と振り返る。「その後扶桑化学さんが事業の一部を買いたいと名乗り出てくれた。コンビナート内で社員を採用したいと申し入れされる企業もでてきた。経営者として一番ダメなのは決断しないこと。自分のいる間は決めないというのが一番罪が重いと思う」。

 一方、「心残り」と語るのは、いわゆる石化の千葉連合が道半ばであることだ。「出光さんとLLPを設立した意図は、千葉地区の4社5プラントのエチレン設備を一緒にしようという思いから。そのため先ず2社でスタートした」。各社で世代交代が進むなか、大連合の実現を後進に託す。

(毎週、御一方ずつ掲載予定)


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