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鉄鋼・非鉄金属スレッド
933
:
荷主研究者
:2011/08/14(日) 13:34:30
http://www.sankeibiz.jp/business/news/110728/bsc1107282041016-n1.htm
2011.7.28 20:33 Fuji Sankei Business i.
【復興の現場から】地域とともに一歩ずつ 新日鉄の「城下町」岩手県釜石市
東京から始発の東北新幹線とJR釜石線を乗り継ぎ、昼前に終点の釜石駅に着いた。ホームの端に立つと、再稼働したばかりの製鉄所の火力発電所の煙突から白煙が立ちのぼり、街が息吹を取り戻しつつあるようにもみえる。だが、そこから釜石港に沿って広がる岩手県釜石市の市街は、復興への一歩を踏み出したとはいえない状況だった。
7月半ば。釜石市の中心部は、モノクロ写真で見る東京大空襲の後の焼け野原のようだ。多くの住宅や商店が流され、ビルは鉄骨をさらけ出している。コンビニエンスストアの店舗が一つ、真新しい看板を掲げているほかは、かろうじて残った建物もがれきに埋もれている。舗装のはげた道を、ボランティアのトラックや隣県から応援に来たパトカーが通り過ぎる。
釜石市の川村公(まさ)彦さんはちょうど20歳の時、働いていた釜石港で昭和35年5月のチリ地震の大津波を経験した。「津波が来る前に水が引き、港が空っぽになって底が見えた」と当時の恐怖を語る。
川村さんはその後、市の内陸部に移り、今回の震災では市街で暮らしていた長男夫婦が避難した。住宅地の目と鼻の先まで打ち上げられた大型船、敷き詰められたようにがれきが散らばる市街…。チリ地震の津波をしのぐ惨状に、「まだ長い時間がかかる」とため息をついた。
がれき処理などに充てる震災復興のための第1次補正予算の執行が進んでいないのは、数字の上だけではないことがはっきりとわかる。これでは、何とか新しい生活を取り戻そうという被災者は浮かばれない。
釜石市は、新日本製鉄の城下町だ。近代製鉄発祥の地で、日本選手権7連覇のラグビー部は「北の鉄人」として名をはせた。今も、製鉄所本体と協力会社で約1千人、関連会社や敷地内への誘致企業も合わせると約4300人が働き、市の人口の約1割を占める。
製鉄所の象徴である高炉は廃止され、生産はタイヤの補強材などに使われる線材が中心。煙突も平成12年7月に操業を開始した卸電力事業(IPP)の石炭火力発電所のものだが、谷田雅志所長(57)は「釜石の人たちは今ある煙突に郷愁を感じてくれている」と、製鉄所の本格稼働が町の復興の力になることを願う。
震災後1カ月で生産を一部再開した線材の稼働率は、8月には8〜9割になり、震災前の水準を回復する。ただ、火力や線材設備よりも港寄りに立地するスチール家具などの関連会社や、十数社に上る誘致企業の被害は大きく、事業再開の見通しは立っていない。
港から延々と石炭を運ぶベルトコンベヤーは寸断され、専用埠頭も、津波で港内をさまよった大型船の衝突で、船積み用の全天候バースや大型クレーンが壊れたまま。全面復旧は来年2〜3月の見通しだ。
釜石製鉄所は震災後、市への支援物資よりも早く、全国の製鉄所から届いたカップラーメンやトイレットペーパー、衣類、乾電池などの食料と生活用品を被災者に配った。遺体の安置場所を提供し、製鉄所の大浴場を避難者に開放した。仮設住宅用地やがれき置き場として、グラウンドや製鉄所の敷地も貸している。
陣頭指揮を執ってきた谷田所長は「地域とともに歩む製鉄所として、フルオープンで市の要請に応えた。従業員も自主的に炊き出しをし、地域の人に配るなど、力強かった」と話す。
石炭火力発電所も、通常は半分の稼働率を100%(出力14万9千キロワット、約5万世帯分)に引き上げ、電力不足に対応している。原子力発電所や東北電力の火力発電所がない岩手県は、出力で県内発電施設の4分の3を水力と地熱、風力、4分の1を釜石製鉄所の火力発電所が占める。
この先の課題は、中長期の復興に欠かせない「被災者の雇用確保」(谷田所長)だ。火力発電の燃料の一部に間伐材を使う木質バイオマスの資源化を拡大し、森林に囲まれた釜石市の林業雇用につなげる。また、被災した誘致企業を支援し、「何とか釜石に戻ってもらいたい」と谷田所長は力を込める。
製鉄所の復旧はめどがついた。が、幕末の時代から街を見守ってきた煙突とともに、市民と製鉄所が両輪になった復興に向けた長い戦いは、これから始まる。(大塚昌吾)
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