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鉄鋼・非鉄金属スレッド

51とはずがたり:2004/05/15(土) 22:36
次男坊と云いながらも(官営八幡製鉄所に対峙する)民間資本の製鉄最大手の矜持を持った日本鋼管と,日銀総裁の恫喝を物ともせず千葉に巨大な製鉄所建設を強行した川鉄,かなり異なる色合いの合併だったように思うが,三井住友銀行と同じく東西の融合・異文化交流という意味では良かったのかも知れない。
最近低迷気味なので口先介入・・

http://www.works-i.com/works_network/0307.html
「次男坊」+「野武士」=JFE

NKKと川崎製鉄が統合し誕生したJFEグループ。持ち株会社JFEホールディングスの2003年3月期連結決算は1046億円の黒字で新日鐵をも上回り、順調な統合・再編を印象付けた。「おっとり、次男坊」と評されるNKKと、「野武士集団」といわれてきた川崎製鉄。対照的な社風の2社は、どのような道筋で統合を進めたのか。また再編後、4月に発足したJFEスチール、JFEエンジニアリングなど事業会社の人事制度はどこが違い、その狙いは何か。JFEスチールの荒木逸治・労政人事部企画室長が語った。

インタビュアー ワークス研究所 豊田義博/五嶋正風

――2002年9月に持ち株会社JFEホールディングスを設立、今年4月からは事業会社がJFEスチール、JFEエンジニアリングなどに再編されました。統合と再編がスムーズに進んでいる印象を受けますが、どのような流れだったのでしょうか。

まず2000年のことですが、川鉄の千葉とNKKの京浜(川崎市)、川鉄の倉敷(岡山県)とNKKの福山(広島県)という組み合わせで、製鉄所の物流、資材、メンテナンスの協力関係構築に取り組みました。統合、合併という話の前に、近接した2ヵ所ずつの製鉄所で、合理化の協力をしようということです。物流について、福山から運び出す製品を水島で一緒に載せれば安くつくとか、高炉や工場の同じ備品を両製鉄所でそれぞれ抱えず、100ある部品のうち、50ずつ持てば半分に合理化できる、などといったことを実行しました。

製鉄所同士、現場の交流が統合の気運を生む

――「次には統合が来る」と、社員はそれとなく感じていたような状況だったのでしょうか。

いえ、当時の社員レベルでは、「本当に統合するのかなあ」ぐらいの感覚でした。結果として非常に良かったのは、現場の製鉄所で交流が進み、それによって目に見えて合理化が進んだことです。福山だけ、倉敷だけと単独で合理化するより、両社でやれば倍の効果が出て、コストも下げられることが顕在化した。従業員レベルで「こうすれば合理化ができるんだな」というような気運が出てきた気がします。

そういう前段階があり、2001年の4月にはNKKと川鉄の統合が発表された。2002年の9月には統合の第一段階として、JFEホールディングスという持ち株会社が発足しました。

こうした流れの中で、各部署でも準備を着々と進めてきました。NKKと川鉄、風土の全く違う会社が、異文化交流を約1年半続けてきたという感覚です。私はNKK出身ですが、(かつて川鉄だった)日比谷のビルに来ても、そんなに違和感はない。私の部下もNKKと川鉄出身者が半々。いろいろな部署がそうですが、統合の準備段階で顔も知り合っている。互いのいうことも大体理解できるようになってきたから、統合の立ち上がりがスムーズに進んだと思います。人事でいえばシステム、福利厚生、管理職の人事制度など分科会をつくり、検討を進めていました。新卒採用に関しても、3シーズン目になりますが、統合発表後は、すべて共同で取り組んできました。



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