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鉄鋼・非鉄金属スレッド

2305とはずがたり:2022/09/03(土) 17:58:50
手許の専用線一覧表は昭和26年版(『トワイライトゾーンマニュアル8』所収)の次が昭和32年度版(『同7』所収)で惜しくもS28〜S31の波高島に専用線があったかどうかは解らない。翌年にも休止の記載もないとなるとたんなる側線から摘みだしていた可能性も高そうではある。

芦安鉱山
http://yamaiga.com/rail/norogawa/main3.html

ドノコヤ沢https://maps.gsi.go.jp/#15/35.597420/138.319602/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0に賦蔵する銅鉱は、大正初期に奈良田の人が発見したものといわれ、同3年に東京の事業者が銅之古家鉱山として初期の開発を行った。大正6(1917)年に大正鉱林業(株)の経営に移り、同時に芦安鉱山と改名、本格的開発がスタートする。
大正10年に鉱山周辺と芦安村桃ノ木を結ぶドノコヤ峠越えの長大な鉱石輸送用索道が開通。これが歴代地形図に長らく描かれ続けることになる。

大正12年に鉱脈が枯渇し、探鉱に注力すると、同15年に新鉱脈を発見し、盛期を迎える。
特に大戦中は重要鉱山に指定され、銅鉱石を掘り尽くす勢いで猛烈に採掘したそうだ。毎日300人以上が働き、現地には小学校分校を含む鉱山集落も誕生した。

戦後は外国からの良質で安い輸入鉱石におされて採算が取れず、閉山となったが鉱業権は(大正鉱林業(株)が)持っていた。
昭和28年から光鉱業(株)が鉱業権を所有することとなり小規模ながら鉱山が再開された。崩壊している坑道を整備し、奈良田までの自動式索道を建設して鉱石を搬出し、奈良田からトラックで見延線の波高島駅まで運んだ。それが昭和31年まで続いたが休坑となり、今日に至っている。
『芦安村誌』より

昭和29年から31年の短期間、光鉱業という会社が経営した時代は、鉱山と奈良田を結ぶ自動式索道が開設されて利用されたというのである。


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