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鉄鋼・非鉄金属スレッド

2296とはずがたり:2022/06/05(日) 19:23:41
詳しい。

"歴史 -亜鉛(2)-我が国の亜鉛鉱山・製錬所の変遷と海外亜鉛資源確保の取り組み"
2006.7 金属資源レポート
金属資源開発調査企画グループ調査チーム 担当調査役 
nakajima-nobuhisa@jogmec.go.jp 中島 信久

中竜鉱山は、福井県大野市の南15km の岐阜県境近くに位置する。

1934 年(昭和9 年)日本亜鉛鉱業株式会社が設立され、本格的な鉛・亜鉛の開発が行われた。戦時中の乱掘と設備の老朽化により生産量が漸減し、1949 年休山した。1951 年(昭和26 年)に再開され、1968 年に年間粗鉱生産量40万t になり、その後、粗鉱量約40 万t/年の規模で生産が継続された。しかし、1987 年10 月に市況価格の低迷などを受け、経済性の喪失などにより閉山した。

中竜鉱山では、昭和30 年(1955 年)代から、中山坑、仙翁坑、人形坑の順で探鉱開発が進められ、多くの新鉱体が発見され、生産も飛躍的に増大した。金属鉱業事業団(現JOGMEC)は、中竜鉱山周辺で地質構造調査を実施し、西部地区では黒当戸鉱床を、南部地区で中天井鉱床を発見した。黒当戸鉱床は、企業の探鉱に引き継がれ、埋蔵鉱量約200 万t(そのうち約60万t については亜鉛品位7 %)を確保した。黒当戸鉱床の生産は1982 年に開始され、1985 年には中竜鉱山の生産の20 %を占めるようになった。中天井鉱床は、中竜鉱山本体の南3 km に位置する新鉱体である。地質構造調査のボーリングで、幅21.6m、亜鉛品位5.6 %の鉱石を発見し、100 万t 以上の埋蔵鉱量が期待できることが明らかとなった。その後、精密な地質構造調査が実施され、鉱化帯の広がりが確認されていたが、中竜鉱山の閉山と前後して、調査は中断された。

(2)臨海大型共同製錬所の建設
1967 年(昭和42 年)8 月、鉱業審議会は「今後の鉱業政策の基本的方向について」の答申を行った。答申は、貿易自由化を受けて、我が国の鉱業のあり方を示したもので、企業体質の改善と産業体制整備の中で、「特に、製錬所については近時その共同化、大型化が進みつつあるが、今後とも規模の利益を十分に享受し得るよう極力大型化を図る必要があり、また、新製錬所の建設にあたっては、乱立の弊害を避けるため共同化を進めることが望ましい。」としている。この答申を受け、政府、民間とも新製錬所は共同方式をとることに方針を変えていった。

また、輸入鉱石の割合が増加するのに対処し、金属製錬各社は臨海大型製錬所建設の方針を打ち出した。亜鉛製錬では、三井金属鉱業を中心に進められていた八戸製錬所建設計画が、また、同和鉱業を中心に進められていた飯島製錬所建設計画が、臨海大型共同製錬方式で建設されることとなった。

とは註:以下,両者に共通の5者に●を付した。

① 八戸製錬所
三井金属鉱業●、同和鉱業●、日本鉱業●、三菱金属鉱業●、東邦亜鉛●、日曹金属の6 社は、1967 年に八戸製錬株式会社を設立し、青森県八戸市に八戸製錬所を建設することとした。当初の出資比率は、三井金属鉱業(50 %)、同和鉱業(20 %)、日本鉱業(10 %)、三菱金属鉱業(10 %)、東邦亜鉛(5 %)、日曹金属(5 %)である。

亜鉛地金製錬能力は、当初の1969 年: 60,000t/年から増強され1970 年: 72,000t/年、1974 年: 84,000t/年となった。

② 飯島製錬所
同和鉱業●、日本鉱業●、住友金属鉱山、三井金属鉱業●、三菱金属鉱業●、東邦亜鉛●の6 社は、1971 年に秋田製錬株式会社を設立し、秋田県秋田市に飯島製錬所を建設することとした。当初の出資比率は、同和鉱業(52 %)、日本鉱業(14 %)、住友金属鉱山(14 %)、三井金属鉱業(10 %)、三菱金属鉱業(5 %)、東邦亜鉛(5 %)であった。

建設工事は1 期、2 期に分けられ、第1 期工事は1972 年に亜鉛生産能力78,000t/年が完成した。第2 期工事は1974 年に完成し、亜鉛生産能力156,000t/年体制が確立した。


(4)1990 年代前半の亜鉛製錬所設備計画
1990 年代前半では、好調な国内景気を反映して新規製錬所の設立計画や既存製錬所の増強計画などが策定されたが、1990 年代後半に入ると、亜鉛価格の低迷や円高を背景に計画の縮小・廃棄や既存施設のリストラが行われた。

① 新規亜鉛製錬所建設計画
・苫小牧製錬所: 1990 年、日本鉱業、三井金属鉱業、MIM ホールディングス(豪)は北海道苫小牧に亜鉛製錬所建設計画を作成、亜鉛生産能力年産120千t、1993 年完成予定であった。1992 年に青森県八戸に建設地を変更した。

・八戸(新規)製錬所: 1992 年3 月、上記3 社に三菱マテリアルを加えて、合弁事業に合意した。合弁会社「太平洋亜鉛株式会社」を設立し、製錬方式はISP 法、亜鉛生産能力年産120 千t、操業開始1994 年予定であった。


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